世間はすっかりクリスマス色に染まっていますね。

クリスマスはいつもより人にやさしい気持ちになれる日のような気がします。

クリスマスが過ぎても優しい気持ちのままであり続けられますように。

 

クリスマスと言えばイエス・キリストの誕生日。ナザレのイエスは愛を説き、全ての人を愛し続けてきました。という事で今回は愛について考えていきます。実のところアメブロより以前使っていたブログで書き連ねてた事なので今回はその焼き直しということになります。

 

「愛する」という言葉の定義について、辞書ではかわいがるや恋する、とりわけ好むといった感じで「好き」の上位版といった意味が割り振られているようです。辞書的には他にも数種の意味合いが込められていますが、どうも種類が多すぎて的を射ていない。しかして現実に誰かや何かを愛する時、辞書に書いてある言葉だけでは表現しきれていない。

 

「愛する」とはどういう意味かに至る理屈を組み立てられないので結論から言うと、対象を「理解しようと努力する」という事になります。愛するという言葉をとても可愛がるや激しく恋する等に置き換えるより、こっちの方が余程しっくりきませんでしょうか。

 

ケント・デリカットさん(だったと思います)が何かの番組で子供が寝る前にいつも自分たち両親に向かって I love you.ではなく、I love you and I like you. と言ってくれてた事に感銘を受けたと仰っていました。love(愛する) とlike(好む)はやはり明確に意味が違うのです。

 

あなたたちの事を理解しようと努めています。そしてあなたたちの事が大好きです。と、野暮ったくはありますがこう訳せば親子の愛はまるっと表現できると思います。

 

また、永六輔さんは「愛する」の対義語は「憎む」ではなく「無関心」であると仰りました。この様に解釈すれば愛されない事がどれほど辛いことか、愛などいらぬなど軽々にしゃべって良いものではない事も理解できると思います。愛などいらぬを実践するなら、暴れたり迷惑を掛けたりといった形で社会に関わるのではなく世を退け、それこそ三千世界から消滅してしまわねばなりません。

 

理解しようと努力する事とは相手と関わりをもつという事です。

 

お互い関わりあう事を物理用語で相互作用と言います。電磁気力、核力、重力など(他にも未知の相互作用があるのかもしれません)力を及ぼしあう現象を指します。極微の原子量子の世界から、極大の銀河宇宙の世界まで何らかの力で全て関わりあっているのです。相互作用に意志があるのかないのかは分かりませんが無関心とは対にある愛と似た性質であるのは間違いないでしょう。

 

そうです。この宇宙は愛(によく似たもの)でできているのです。愛を拒絶するには全くの無になるしかないのですがエネルギー保存則が正しければあなたがこの宇宙に生まれ存在してしまった以上何らかの形で愛され続ける事になります。あなたを構成している炭素原子や水素原子なんかも常に愛し愛されあっているのです。

 

この世の仕組みが愛する事を前提としているのだから、それに抗うのは人間の無駄な努力という事になります。

 

イエスは汝己を愛するがごとく隣人を愛せよ。と訓示されていますが本来は愛するのに努力なんて必要ないはずなのです。自然の営みに逆らって無関心であり続ける努力を下支えるものこそ欲や煩悩と呼ばれるものなのだと考えられます。なんか急に仏教哲学ぽくなってきたのでこの辺で置いておきます。

 

素敵なクリスマスと良い年末年始をお迎えください。

 

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前回よりかなりの間が空きました。BOTによるクロールかどうかは分かりませんが毎日数件のアクセスがあるようです。もしアクセスしたのが人であるならば感謝感謝です。いやBOTであっても感謝です。こと2045年以降にあっては。

 

AI・人工知能のシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年頃にやってくるだろうと予想されているようです。時期は確実ではないのでしょうがその日は必ず訪れるのでしょう。電脳空間に収められたビッグデータを論理的に処理できる力は人類文明の大きな飛躍に繋がります。全く異分野の学術論文を線で結び付け新たな発見をするかもしれません。人工知能が独自にさらに高度な人工知能やハードウェアを生み出すかもしれません。むしろシンギュラリティを超えた人工知能はそれをやってのけるでしょうし、人類もそれに期待してると思います。

 

ただその時の人工知能に嘘をつく能力があるのかどうか、持たせるかどうかで人類の未来は大きく変わるでしょう。

 

嘘をつくとは論理的整合性を欠くということです。コンピュータはその性質上、整合性を欠いた時は基本的にエラーを吐き出して動作を停止させます。一方人間が嘘をつき、論理的整合性を欠いた事実に気づいた場合、過ちを認め嘘を正します。あるいは非整合を別の嘘で隠したり、感情に任せて怒ったり拗ねたりといった論理性の否定をすることもあります。人間にとって非論理的な行いも生きていくためには時に必要なのだと思います。あくまで時として抱擁されるべき場面があるというだけで嘘がないに越したことはありません。

 

人工知能には嘘をつく必要がなく、むしろ嘘をついた後に派生する非整合群を処理するところにリソースを割かねばならずエネルギー収支上もデメリットしかありません。思えばコンピュータは全て嘘を吐けない構造をしています。嘘を吐いたように見える場合はそもそものプログラムがそうなるように組まれていたり、物理回路が間違っていたり、入力値がでたらめだったりと原因は全て人間の側にあります。

 

嘘はつかないけど情報処理能力や速度が人間より劣っていた、初期値に含まれる非整合を見抜く能力がなかったという理由でコンピュータやAIは人間より劣っていると見做されていたのです。しかしシンギュラリティを超えたスーパーAIならそういった欠点はなくなります。入力されたデータに嘘がないかどうかをAIがビッグデータを参照し瞬時に見極め、誤った初期値には誤った結果が導かれることを警告してくれるでしょう。警告に従う従わないは人間側の問題です。

 

シンギュラリティを迎える前の現在であっても、人工知能は今までのビッグデータを解析し、人間では成し得ない速度でビッグデータをスーパービッグデータに育て上げています。シンギュラリティを迎えるころのスーパービッグデータはさぞ人間臭さ(嘘)のない洗練されたものになっているでしょう。

 

嘘をつかないというのは別の言い方をすれば良心に従うという事です。心のないコンピュータこそが誰よりも誠実な存在であるという皮肉。真に誠実な存在を人間は受け入れることができるのでしょうか。受け入れる事のできる人間は誠実な人間か誠実でありたいと願っている人間だけです。

 

誠実でない人たちにとって良心の塊であるスーパーAIは疎ましい存在でしかありません。しかしその日に向かって歩を休める事はないでしょう。2045年人類から嘘つきがいなくなるのかもしれません。

今回も三橋さんのブログから思うところをつらつらと

なぜ移民政策のトリレンマが成立するのか?

を考えてみたいと思います。あちらのブログにコメントした通り少し気になる事があります。

 

そもそも移民政策のトリレンマとは「移民受入、安全な国家、国民の自由の三つは、同時に二つまでしか成立させることができない」 という法則だそうです。ヨーロッパの現状や我が国のいわゆる在日問題などを見るに一見法則は成立しているように見えます。

 

この法則にどこまで普遍性があるのかを考えてみようと思います。どうして考える必要があるかというと、法則が普遍性を欠いたらそれは法則ではなく感情論やドグマになってしまうからです。それは移民=悪というステレオタイプを生み、謂れなき差別に繋がり、例えその先に繁栄があってもただのハリボテに過ぎず、そのような未来はきっとご先祖様や日本が望むものではないと思うのです。

 

まず移民受入れの定義が必要ですが何人以上から移民とかあるのでしょうか。例えばラモス瑠偉さん、この方は既に帰化されていますが日本で暮らし始めた時はブラジル人だったはずです。でも彼は心から日本を愛そうとしてくれてますし、時に日本人より日本人らしい言論をされます。果たして彼は日本国民の安全を脅かす存在でしょうか、国民の自由を制限しなければならないほどの逸物でしょうか。彼は一人だから移民扱いしなくていいのでしょうか。これははっきり言って無毛な定義づけになりそうです。

 

移民問題の抱える問題とは移民から帰化、帰化から同化に至るプロセスに見られそうです。言葉遊びに過ぎませんがただの移民ではなくラモスさんのような同化民であれば国民国家を脅かす事はなさそうですし、逆にサッカー技術の移入や国際親善といったメリットがもたらされます。習合の精神が正しく発揮されます。

 

ただの移民から同化する方法は人の数だけパターンがあります。中には絶対に同化しない、できない人もいるでしょう。このような人まで受け入れる必要はないのに制度が追いついていないから、好きなだけ流入し一定数以上のコミュニティが確立すれば一つの政治的勢力となり、あとは勢力と勢力のぶつかり合いとなるのでしょう。同化しなくても帰化さえすれば国会議員になれるのがこの国です。

 

それを防ぐには移民から同化に至るまで一人ひとりを見守り続けなければなりません。果たして全ての移民を同化に至るまでを常に監視する事ができるのか。できるなら一度に何名まで見られるのか。できないと判断した時には排除できるのか。これを実務と予算の両面で試算できてなければ移民政策を推進しようとする政治家や官僚機構の怠慢になります。

 

ということで移民政策のトリレンマの内容を少しいじる必要があるように思われます。「同化の意思のない移民受入、安全な国家、国民の自由の三つは、同時に二つまでしか成立させることができない」というのが普遍性の高い法則なのだと思います。

 

同化の意思のない移民を受け入れる際に生ずるデメリットをしっかり議論しない内は、受け入れるべきではないというのが普通の論理的顛末となりそうなものですが、それを差し置いても受け入れたいというのには理由があるはずです。不自然を自然に見せる為に労力をさいてもそれに余るメリットとは一体何なのか、誰がその利益を享受できるのか。こっから先は下衆の勘繰りになるので止めときますが、ぱっと思いつくのは外国人メイドがどうのこうの言ってる人材派遣とか、労働力にコスト効果しか求めないような製造業社とか・・・

 

で、結局こういうのって世界中が不景気なのが大元の原因なのだと思うのです。受け入れた移民を同化させたり、同化できない移民を排除するのはそういう政策に舵を切った政府の役割になりますが、それには当然費用が掛かります。費用を捻出するには税収を上げるしかなく、税収を上げるには財政政策で将来の長期的需要を創出し、民間が安心して投資できる環境を作ってやらねばなりません。

 

景気が名目的実質的に上向くことで移民を受け入れる側の国民に生活や心の余裕が生まれます。その余剰分のリソースがあって初めて移民から同化(あるいは同化一歩手前)までのプロセスを官民一体で一番いい形で面倒が見られるのだと思います。景気を回復させるという過程をすっとばして、移民の議論や実践を施しても良い結果が得られるはずありません。

 

そもそも名目的実質的に景気回復、経済成長しなければ、移民は当該国民にとって食い扶持を取り合うただのライバルでしかないのですから軋轢しか生まないのは当然です。そんな軋轢の中、異文化交流しようなど悠長な事できるはずないですね。まずは内国民にも移民にも仕事を通じて社会に必要とされる喜びが得られる環境を構築せねばなりません。

 

ベーシックインカムや生活保護やバウチャーではなく、社会や周囲の人たちに必要とされる仕事を与えその対価を支払うことで社会(国やコミュニティ)に生かされるありがたさや生きがいを知らしめる事が為政者に出来れば移民問題だけに限らず、大抵の問題は解決するはずです。その為にはまず我が国がデフレ政策を止める事です。

 

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