頻繁に変化するファッションという西洋の現象は概して古代には見られなかったし、他の大文明でも数十年前まではあまり類を見ないものであった。ペルシア ・トルコ ・日本 ・中国 などへ旅した初期の西洋人旅行家たちは現地のファッションの変化のなさをしばしば報告したし、逆にそれらの他文化圏から西洋に来た観察者は西洋ファッションの見苦しいペースでの変化を西洋文化の不安定さと無秩序さの現れではないかと報告していた。日本の征夷大将軍 の老中[訳語疑問点 ]は1609年にスペイン人の来訪者に、日本の衣服は1000年以上もの間変化していないと語った[2] 。しかしながら、例えば中国の明 では漢服 に頻繁に変化するファッションが存在したとする注目に値する証拠がある[3] 。
(古代ローマ や中世イスラム帝国 などでのように)経済・社会的な変革に伴って装いに変化が起こることはしばしばあるが、その後は長きに亘って大きな変化は起きなかった。例えば、ムーア人時代のスペイン では8世紀に、高名な音楽家Ziryab [訳語疑問点 ]が出身地であるバグダード の風習と自身の創意により、季節と時間帯に応じた洗練された衣服スタイルをコルドバ に導入した[4] [5] 。同様のファッションの変化は11世紀の中東でも、進出してきたテュルク によって中央アジア と極東 の衣服スタイルが導入されて起こった[6] 。
ヨーロッパでスタイルが連続的・加速度的に変化してゆく慣習が始まったのは14世紀 中頃であるとかなりはっきりしており、ジェームズ・レーヴァー やフェルナン・ブローデル などの歴史家がこの時期を西洋の服飾ファッションの始まりとしている[7] [8] 。これを示す最も劇的な変化は男性の上着が突然に大幅に短くタイトになったことで、ふくらはぎ まであったものが辛うじて尻 を覆うだけのものとなり、また同時に胸を大きく見せる詰め物もすることがあった。これによって西洋男性が仕立てた上着をレギンスまたはズボンの上に着るという概形が生み出された。