卑弥呼ではないかと言われている古墳です。
2年ほど前、仕事で橿原考古学研究所の方に講義をしてもらう機会があったのだけど
その時も「なるほど」という話を聞いて、やっぱり邪馬台国は奈良にあったのでは?と
胸をときめかせました。
最近、またニュースでこの箸墓古墳が登場しました。
ニュース
(毎日新聞より抜粋 http://mainichi.jp/enta/art/news/20090601ddm041040065000c.html )
国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の研究グループは31日、古墳時代の始まりを示す箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は240~260年に築造されたと、東京・早稲田大であった日本考古学協会の研究発表会で報告した。247年ごろとされる邪馬台国の女王・卑弥呼の死亡時期と重なるため、邪馬台国所在地論争の点で注目される。しかし、この測定で箸墓を卑弥呼の墓とするには問題が残り、数値が独り歩きすることへの懸念がある。
発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。
歴博グループは、放射性炭素年代法によって全国で出土する土器に付着した炭化物を中心に年代を測定。箸墓でも、築造時の土器とされる「布留(ふる)0式」など16点を測り、この前後につくられた他の墳墓や遺跡の測定結果も総合して240~260年を導いた。春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓であることが確定的になった」と述べた。
しかし、土器付着炭化物は同じ地点から出た他の資料に比べ、古い年代が出る傾向がある。中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。【伊藤和史】
と、まだまだ決定というわけではないのですが、
個人的に奈良県民としては、奈良であってほしいなと思う訳で・・・
ということで!
再度、箸墓古墳を見に行くことにしました。
![セツヤクモオシャレノウチ-箸墓古墳](https://stat.ameba.jp/user_images/20090610/14/chibikuma00/d9/b9/j/o0500033210194487949.jpg?caw=800)
まず、今まで何故、卑弥呼のお墓かもしれないと言われていたかというと
このサイズの古墳の中では、最古級のものだということと
前方部が後から付け加えられた可能性があるということ
さらに魏・晋時代の一歩を25cmと計算すると『魏志倭人伝』にある通り
卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致するというのがポイント。
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