❺きびだんご
『「まあ、そんな遠方へ行くのでは、さぞおなかがおすきだろう。
よしよし、おべんとうをこしらえて上げましょう。」
とおばあさんも言いいました。
そこで、おじいさんとおばあさんは、お庭のまん中に、
えんやら、えんやら、大きな臼を持ち出だして、おじいさんがきねを取ると、おばあさんはこねどりをして、
「ぺんたらこっこ、ぺんたらこっこ。ぺんたらこっこ、ぺんたらこっこ。」
と、おべんとうのきびだんごをつきはじめました。』
イスラエルの民は、モーセと紅海を渡った後、40年にも及ぶ荒野の旅を続けました。
その間、民を養ったものの一つが天から降ってくるマナでした。
後の時代、神殿での礼拝において、イスラエルの祭司は、種(ふくらし粉)を入れない12個のパンを神さまに供えました。
それは、荒野での40年間、神さまからのマナによって養われたことを覚えておくためであり、それは後にやってくるキリストのからだを示す型です。
マナについて、詳しくはこちら
をご覧ください。
現在でも、キリスト教会で行われる聖餐式という儀式では、洗礼を受けた者は、キリストのからだとしてのひとつのパンを皆で分けて食べます。
十字架上で裂かれたイエス・キリストによって救われていることを覚えておくためです。
また、パンは聖書のみことばにも例えられ、クリスチャン(キリストに属する者)は、「キリストの兵士」と表現されている箇所もあります。
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キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。
テモテへの手紙二 2:3 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/2ti.2.3.新共同訳
礼拝で聖書を読んだり、聖餐のパンとワインで力づけられ、各々普段の生活(サタンの支配するこの世での信仰の闘い)へと戻っていきます。
キリスト者の国籍は天国にあるため、この世は旅の途中です。
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けれども、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリピ人への手紙 3:20 新改訳
この後、桃太郎の家来たちが、桃太郎からきびだんごをもらって食べ、力に満たされて鬼退治に出かける構図と、聖餐式はよく似ていると思います。
『桃太郎がふり返えると、犬はていねいに、おじぎをして、
「桃太郎さん、桃太郎さん、どちらへおいでになります。」
とたずねました。
「鬼が島へ、鬼せいばつに行くのだ。」
「お腰に下げたものは、何でございます。」
「日本一のきびだんごさ。」
「一つ下さい、お供しましょう。」
「よし、よし、やるから、ついて来い。」
犬はきびだんごを一つもらって、桃太郎のあとから、ついて行きました。』
この後、桃太郎は、猿と雉に出会い、同じようにきびだんごを与えて家来とします。