ちびにゃno足跡 -19ページ目

ちびにゃno足跡

育児日記や料理や愛猫チビニャとの日々の生活を綴っています。

2007年11月24日



前日、妹の娘の宮参りと一緒に、妹の快気祈願o(〃^▽^〃)oをしてもらったそう。

お守りももらったようで、どこかすっきりした感じの妹。


しばらく実家で頑張るんじゃ♪ガンの本を2冊買って読んでるんだけど、心強いこと書いてあって、

だいぶ恐怖心が減ったにひひ


なんて明るいメールをくれました。

実は宮参りの前日の夕方、電話で号泣しながら、どうしようもない気持ちを吐き出してくれていたのです。


「私は、ユウトがランドセル背負って学校に行く姿も見れんのんよ?カナが立って歩く姿も見れんのんよ?

保育園さえ行くのも見れない…あと半年しか私には時間がない…

カナはまだ生後2ヶ月じゃし、おっぱいをあげたくてもあげられん。ユウトも1歳9ヶ月じゃし、

これからもっともっと母親が必要になるのに、母親としてみてやりたくても、みてやれん。

入学式も、運動会も、参観日も、卒業式も、これからいっぱい楽しみな事があるのに…。

何で私なん?何で死なんといけんのん?何であの子達から、母親を取り上げんといけんのん?

やりたい事まだまだ沢山あるのに…!ちゃん、ワガママかな…?


懸命に看護してくれる母。 治療費を稼ぐ為に必死で働く父。 働きながら育児をしてくれる夫

きっと、本音を言いたくても言えない環境の中、必死にこらえていたんだと思います。


そんな時、部屋から見える、下校途中の小学生を見て、そう考えてしまい、抑えていた感情が溢れて、

涙が止まらなくなった妹…。


「私でも絶対同じ事を考える。女はね、

母親になった時から子供の為に生きてる、

子供を心配して生きたいと願う事はワガママなんかじゃない、

母として当然の愛情だよ。 

もう私は頑張れって言わない十分過ぎるほど、既に頑張っているんだから。

これからはみんなで一緒に、これからを歩いていこうね。


そう答えると、心配して様子を見に来た妹のご主人が、妹のそばで会話を聞いていたらしく、

「姉妹ってすばらしいねしょぼん感動した!!」って泣いてると、妹がようやく笑って話してくれました。


最後に、姉ちゃんの妹で良かったラブラブそう言ってくれた妹…。


パンパンに張っていた糸がほどけたような、ガチガチだった肩の力が抜けて、どこかホッとしたような声で

「ありがとう」と言って、電話を切りました。

情緒不安定な妹をこれから本当に支えていけるか、一瞬、私は心配になりました。

久々に妹の軌跡を綴ります♪



2007年11月22日



妹がついに退院。


「退院おめでとう(>u<人)

もうすぐ、娘の宮参りでしょニコニコ

風邪ひかんようにね!

ラブラブママ頑張れラブラブ


メールで妹にエールを

贈ると、妹から電話したいと

返事がラブレター


電話で携帯


「私、人口肛門になったんよ(笑)

体の中には、色んな器具が埋め

込まれとるんじゃ(;^_^A

まだ、乳飲み子もおるし、頑張ら

んといけんグー

でも、手術が終わって目が覚めた

時、みんなの顔が見えてホッと

した…。生きとった~って…。

ガンに対する恐怖心が無くなった

わけじゃないけど、子供らの為に

前向きに、明るい母ちゃんでいない

とね(*^ー^)ノ

これからどんな風にやっていくか

考えんといけんし、1%でも希望

があるなら捨てん!

お姉ちゃんはてなマーク私、元気になったら、

本書くんじゃニコニコ音譜


なんて、色々とおしゃべりしながら、

時折、涙で声が震えていた、

情けない姉の私…あせる


母になると、こんなにも強くなる

のかと、当時は関心していましたが

今、私も母になり、この間風邪で

高熱でましたが、赤ちゃんがいると

不思議としんどい感じない

んですよね(*・ω・)

というより、

「私がいなくちゃこの子はっ!!

みたいな…

普段なら、布団で死亡(*´Д`)=з

してるはずなのですがダウン


本当にこの時は、妹ではなく

母親 を強く感じました。


きっと、この頃は、母性というモノが

妹の心を強く支えていたのかも

しれません………。

今日も妹の軌跡はお休みします。



2011年8月24日


今日お見舞い行ったら、髄膜炎の

原因が判明してた!

≪おたふくかぜ≫のウイルス叫び


やっぱり、来年春から預入を検討

していた保育園にパンフレットを

貰いに行ってから、節々が痛い

と言い出してたので、間違いない

保育園だッ――――ヽ(`Д´)ノ


昨日撮ったMRIには全く以上が

無く、血圧も正常で安心したしょぼん

脳における障害は見られない

との事チョキ良かった~…


夫は9月あたまに一時退院予定、

退院後は、自宅で絶対安静、

9月末に髄液を再び採取して

検査結果が良好であれば

職場復帰しても良いと先生が。


何てこった…


10月から働いても、給料日は

11月じゃないか(笑)

ロングバケーションだ晴れチューリップ赤チューリップ赤

傷病手当金に生命保険、限度額

認定証、貯金と色々保障はある。

が…生後五ヶ月の娘の育児に、

夫の看病かいなぁ~(*´∀`*)

そこが一番不安てんびん座

ま、こういう時こそ夫婦

乗り切ろうドキドキ

いつか笑い話になる日が

来るさ(*´σー`)


頑張れパパラブラブ頑張れ私グー

そして娘よ健やかであれ!!

今日は、妹の事を綴るのをおやすみして、

現実今日のことをブログに書き留めます。


2011年8月23日


今日は娘の予防接種。

注射が痛いということより、

看護師さんに力ずくで押さえつけられた

事が嫌で絶叫してた(笑)


帰宅途中、髄膜炎で入院している

パパから電話携帯

「昨夜から熱も下がってずっと

落ち着いてるし、頭痛もせんのんじゃニコニコ

13日の晩から、高熱と激しい頭痛に

苦しんでたパパガーン

やっと回復の兆しが見えた目

と喜んだのも束の間………。

「2~3日前の事覚えてないんよね。

何か、電話で話してても、話そうと思う

けど、言葉が出ない。言葉を探してる。」


入院した時は、意識もはっきりしてて、

痙攣も無く、早い対応ができて後遺症は

残らないと思ってた。

元気そうな明るい声で、娘と愛猫の事

を気にしてたし。最後に、

「マイカーローンで保証金払った

よな。あれって、病気や死亡時の

保証も入ってるんだっけ?

担当の人に聞いてみといて」と。


帰宅して早々電話で問い合わせた。

聞いた内容をメールで伝えたら、

3~4時間後、パパからメール♪

「ローンって、何するん?」

覚えていない?!パパ…。

記憶障害かもしれない(TωT)

ずっと高熱出てたから、ちょっと前のこと

覚えてないだけって思ってたのが

確信に変わった!(´Д`;)


私が電話で直接看護師さんに事情を

話して、主治医にも伝えてもらった。

自分で歩いてトイレに行くし、

食事もしてるし、診る限りでは

異常な行動は見られないけど、

早速MRIとってくれた。結果は明日。


どうしても思い出せない事も

必要ならまた覚えればイイ(・∀・)

必要ないなら思い出さなくてイイ!


とにかくお願い!元気なパパに戻って

早く帰ってきてね。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


2007年11月5日



妹が仕事中に、不安げに

電話をしてきました。


日中は家族の誰かがいる。

でも、夜になると、皆帰る。



私は、一人ぼっち………



一人になると、急に死神が

目の前に現れて、怖くなる。


自分のお腹の中の画像を

思い出す。


取り除くには無理だとわかる

ほど小さなガンがいっぱい

散らばっていた…。


明日の朝、私は目が覚めない

かもしれない。



怖い………



不安と恐怖に襲われるながら

それでも、子供の事を考えると

前向きにならなきゃと揺らぐ妹に


みんな○○が

大好きだよ!!!

頑張れニコニコラブラブ


皆、妹のために必死で方法を

探ってるし、一緒に闘ってる。

一人じゃない、一緒に頑張ろう!


そう励ますことしか、言葉が

見つかりませんでした。


2007年11月某日



妹の主治医から、

胃と腸をつなぐ手術と

除去できる限りのガンを

取り除く手術をすること

を説明されました。


初めての開腹手術。

全身麻酔をかけられ、

すごく不安だったと思います。


開腹してわかったこと。

大きなガンは取り除いたけど

小さなガンがいっぱいある…


手の施しようがないと一言。


まだ23歳なのに、

お腹には人工肛門。

胸の鎖骨あたりには、

静脈に点滴を入れる為の

金具が取り付けられて

いました。


目を開けた妹は、家族子供

たちの姿が見えて、ホッとした

のか一筋の涙をこぼしました。


本当の苦しみはこれから…。

妹と家族の闘いが

始まったのです。


2007年10月30日



ついに広島市民病院へ転院。

検査結果を待つ妹。


可愛い子供たちの為に早く良く

なって母として、思いっきり抱き

しめてあげたい、添い寝してあ

げたい…。たっぷり甘えさせて

あげたい…。

色々な思いが胸の奥から湧き

出ていたと思います。


でも、妹の期待を裏切る結果が

主治医の口から告げられました。


「あなたは、末期ガンです。」


きっと、信じられないという気持ち

以前に、子供達の事が気がかり

で心配で心配でたまらなかった

ことと思います…


この日の事を妹は電話で、

こう言っていました。


「私末期ガンなんだって。しかも

先生の机の上のカルテには

ステージ4って書いてあったし。

素人でも、よっぽど悪いんじゃっ

て解った…。幼い子供が二人も

おるし、まだまだこれからって時

なんよ?母として子供らにもっと

してあげたい事たくさんあるし、

成長を見守ってあげたいのに、

私死ぬんよ?まだ、死にたくない

のに、あと半年生きれるかどうか

わからんのんよ…?お姉ちゃん、

私まだ死にたくないよー…」


泣き崩れる妹に、何も言えず私も

一緒に、ただただ泣いていました。

この時は、過呼吸になったほど

2人泣いて泣いて泣きました。


きっと、妹も眠れない夜を過ごして

いたはず。私よりももっともっと

大粒の涙をたくさん流していた

はず…。


今の私には五ヶ月の娘がいます。

母になったから解るこの気持ち。

きっと妹も母として死にたくないと

思った。子供の事が自分の命より

も心配だった…。

今だから解るよ、あの時の妹の

気持ち…。


2007年10月29日


「明日、広島市民病院に転院

することになったんじゃニコニコ

お見舞い来てね音譜

待っとるけーのーっにひひ!!


妹からいつもの元気そうな

メールが届きました。



知らない土地、遠く離れて一人

頑張る自信がないと不安がって

いた妹…。


ご主人の職場近くの、県北で

一番大きい市立三次中央病院

への転院を希望していた妹…


しかし


ご主人の職場近くの三次中央

病院では、「うちでは無理です」

と、もっと大きな広島市民病院

への転院を勧められ、泣く泣く

遠くへ行くことになったのです。


この時、まだ妹は余命も病名も

何も知らされていませんでした。

原因がわからないから、大きな

病院へ行って診てもらう、その

程度のことしか知らされていな

かったのです。


いずれは告げなければならな

い。でも、誰も言えずにいました。

言わないようにお互いが口止め

のしあいこをしていまた。


それはきっと誰もが、

末期ガンだなんて、余命半年

だなんて嘘だと信じていたから

です…。


2007年10月某日


お昼休憩が終わり、仕事に戻ろうとしていると、

父からの電話がなりました。

めったに電話してこない父。

「なんだろ?」と思いながら電話にでると、

「もしもし?…・。」という

父の声が震えていました。

重たい口からやっと出た言葉が、


「○○(妹の名前)が末期ガンだってさ…。」

「あと半年もつかもたないかだって…。」


そう言って、電話の向こうで泣き崩れる父。


背中に一筋の電気が走り、私の電話を持つ手が

震えていました。


「うそ。何かの間違いじゃないの?だって、

あそこ若い女の人がガンじゃないのに

ガンだって誤診があったって聞いたこと

あるよ?もっと大きな病院で診てもらった

ほうがいいよ!本当にガンなら、何で妊婦

健診の時にわからなかったの?」


泣き崩れる父に私は冷静を装っていましたが、

本当は心の中では動揺しまくりでした。

そして、私の目には涙が浮かんでいました。

妹の現状が急に心配になり、

「○○(妹の名前)は知ってるの…?」

と、恐る恐る父に聞きました。


すると父は、「まだ知らされていない」と…。


その日の朝、妹のご主人と父が診察室へ

呼ばれ、医師から余命宣告と転院を告げら

れたそうです。

この時、妹は23歳、ご主人は22歳、長男

1歳8ヶ月、長女0歳2ヶ月でした。

可愛い盛りの2人の子供を抱え、

幸せ街道をまっしぐらだった若い2人に

神様は何故こんな辛い試練を与えたのだ

ろうと、電話を切った後、私は大粒の涙が

溢れて止まりませんでした…。

2007年7月28日


『只今、入院中です…ダウン

腸閉塞になったんよしょぼん

今だに原因不明で1週間異常経つんよガーン

鼻から小腸にもってってチューブを

入れられ、首の静脈からは点滴の管を

入れられ…汗苦しい日々ですシラー
ちびにゃん君のブログ-心保と椛水

『近くの病院で便秘って診断されて、下剤飲んでも

あまりにでんくて、どんどん痛みが強まるけー、

浣腸でも…みたいな感じだったんだけど、

エコーしてCTしてレントゲンして心電図して、

その日の内にチューブ入れられてあせる

不安だから大きい病院に転院したいって先生に

言ったけど時間かかるみたい…。

不信感あるのに、胃カメラやらされるし…。

若い子の腸閉塞があまりに珍しいから、大学

病院を勧められたよガーン

乳飲み子もおるし、知らない土地で一人で

頑張れるかってのむかっ!!
娘が母チャンそっくりって看護師サン皆が

言ってくれるよ得意げよく笑ってくれるんよラブラブ!

頑張れる気が湧いてくるパンチ!



そう言って画像付きのメールをくれた妹。

『私が代わってあげたい!早く原因が

わかってよくなるといいね!もっと、良い

病院で診てもらわないとね!』と返信した私。

しかし、この時すでに父から妹が末期ガンで

余命半年であることを電話で知らされて

いたのです………。