先日、「カシワギツノハズ○○センターの△△ですが」と言う外線を取ってしまいました。


「カシワギ」までは大丈夫でしたが、「ツノハズ」に動揺してしまい、再度聞き直しました。


確かに「カシワギツノハズ」と言っています。


担当部署につなげました。


どうしても「カシワギツノハズ」がどういう漢字を書くかが気になってしまいました。


「カシワギツノハズ」で検索しました。


トップに「柏木角筈○○センター」が出てきました。


新宿区にある地名のようですが聞いたことがありません。


「角筈」で検索しました。



角筈(つのはず)は、東京都新宿区にかつてあった地名。

町名設置当初は、一丁目から三丁目まであった。

現在は、新宿区西新宿、歌舞伎町および新宿の一部。

となっています。


町名の変遷


1889年(明治22年)5月1日 - 角筈村は、内藤新宿添地町の飛地[2]とともに、淀橋町大字角筈となる。

1932年(昭和7年)10月1日 - 淀橋区角筈一丁目から三丁目を新設する。

1947年(昭和22年)3月15日 - 新宿区角筈一丁目から三丁目となる。

1948年(昭和23年)4月1日 - 一丁目の一部が歌舞伎町となる。現在の新宿遊歩道公園北側の一画は歌舞伎町とはならず角筈一丁目として存続したため、当該地は、角筈一丁目の飛地となった。

1970年(昭和45年)4月1日 - 一丁目、二丁目および三丁目の各一部が、西新宿となる。

1971年(昭和46年)1月1日 - 一丁目、二丁目および三丁目の各一部が、西新宿となる。

1973年(昭和48年)1月1日 - 一丁目および二丁目の各一部が新宿となる。

1978年(昭和53年)7月1日 - 一丁目の全域および二丁目の全域が歌舞伎町となり[5]、町名の角筈は廃止される。


こうなると由来が気になります。


諸説あるが、新宿区教育委員会では、以下の説を有力としている。

角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、角にも矢筈にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、これが転じて角筈となった。



こうなると矢筈が気になります。


矢筈(やはず)は、踏み台を使わずに掛軸を掛けるための棒状の道具で、掛け棹(掛物棹、掛棹)が本来の名称である。


構造

全体の長さは1メートル前後で、竹製の棒の先端に掛軸の紐(掛緒)を引っ掛けるための金具がついた構造になっている。

金具は二股に分かれており、さらにそれぞれの先端がU字型になっている。このU字部分が掛緒を引っ掛ける場所となる。





これです。


「カシワギツノハズ」で我が課は盛り上がってしまいました。



ところで今日、「カシワギツノハズ○○センター」から外線が来ました。


別の人が淀みなく担当部署に転送していたのを聞いて笑ってしまいました。


そのうち私も「柏木角筈○○センター」からの外線を取り、淀みなく担当部署に転送しました。


地味なほうの柏木の町名の変遷も書きますね。


1878年11月2日 - 郡区町村編制法施行により南豊島郡柏木村となる。
1889年5月1日 - 町村制施行により南豊島郡淀橋町が発足、淀橋町大字柏木となる。
1932年10月1日 - 淀橋町が東京市に編入、東京市淀橋区が発足。大字柏木は柏木一~五丁目となる。
1971年1月1日 - 住居表示が実施され、柏木二~四丁目と五丁目の一部が北新宿一~四丁目となる(柏木一丁目は現在は西新宿七、八丁目になった)。