この地には行基開創の那蘭陀(ならんだ)寺と言う大寺があったようです。

1432年に山津波があって全て流されてしまったそうです。


それ以来衰退し、現在では地域の方々によって守られています。


仏像展示館の脇にある南禅寺というお寺が那蘭陀寺を継承したようです。


その南禅寺のお堂の中にいらした像がこうして保管展示されるようになりました。

展示室に入ると平安時代の薬師如来様がお出迎えです。




(看板より)


堂々としたお姿です。

旧国宝と書かれています。

今は国重文どころか県重文です。

戦後に様々な経緯があって国重文にならなかったそうです。

十分に重文の価値があるというシャレのような思いを持ちました。

薬師如来様の手前脇には二天王様がいらっしゃいます。

この二天王様はかなり傷んでいますが、往時を思いおこされるお姿です。

ちょっと進むと伝おびんずる様がいらっしゃいます。

案内の方によるともしかしたら高僧の像か僧形文殊菩薩様ではないかとのことです。

確かにそのような気がします。

そして破損した天部の仏様が並んでいます。

本当に土の中から掘り返した感じがします。

1000年以上前にはいかに大きなお寺だったのか想像がつきます。


正面に行くと、東海地方最古の地蔵菩薩様がいらっしゃいます。


また、霊場御本尊の十一面観音様も古い形式で素晴らしいです。






また広島古保利薬師堂の二天像とそっくりな二天像がいらして、写真で比べると本当にそっくりです。


広島と伊豆、この離れた地に、たぶん中央の同じ工房の像が運びこまれたのでしょう。


右側にもたくさんの破損した神像が展示されていて、本当に大寺だったのだと昔を想像してしまいました。


このような平安仏が伊豆半島の南部にいらっしゃることに衝撃を受けました。


一番衝撃を受けたのは、このお寺にいらした像があちこちに流失していることです。


廃仏毀釈や戦後のどさくさで売り払われたり、盗まれたりしたそうです。


薬師如来様も盗まれてしまい、買い戻したそうです。


またこの近くの天嶺山からはあの宝誌和尚像が京都の西住寺に運ばれた記録があるそうです。






これはなかなか御存知ない方が多いと思います。