前回の聖護院で中途半端な記事が終わっていたと思いました。
ところがです。
秋の宇治が途中になっていました。
前回の記事はこちら
昨年の11月21日です。
うーん、だいぶ年月が経っています。
年は大袈裟ですが…
橋寺を出て宇治川沿いに上がって行くと恵心院があります。
もう、半年以上前の記憶なのであやふやですが、お堂は狭かった気がします。
平安時代の小ぶりな十一面観音様や五大力尊像がいらっしゃいました。
(沿革)
恵心院は822年の創建当時は「龍泉寺」とよばれていましたが、1005年に比叡山横川(よかわ)の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)によって再興され、「朝日山恵心院」と改名されました。
この恵心僧都は宇治十帖の中で浮舟を助けた「横川の僧都」のモデルと言われています。
藤原氏、豊臣秀吉、徳川家と時の権力者に庇護されてきた恵心院ではありますが、中世以降戦火に巻き込まれたこともあり、境内も縮小され、今では本堂と楼門を残すのみとなっています。
約1000年前、ここを訪れた人々の心を癒したのは恵心僧都の説法でした。
そういえば恵心僧都の像もあった気がします。
ああ、すぐに書かなければと思ってしまいました。
この頃は自分でも大変な時期だったので仕方がないのかも知れませんが。