下書きのつもりが中途半端なところで公開してしまいました。


コメントがなかったので再び下書きに戻した記事です。




お彼岸の中日に上野に向かいました。

その前にあるツアー(自分一人)を考えて8時くらいに家を出ました。

新宿に着いて地下鉄の1日フリー切符を買おうと思いました。

財布が見あたりません。

家に置いてきてしまいました。

また電車に乗って家に戻りました。

定期券があるので金銭的なロスはないのですが、時間的に1時間半もロスをしてしまいました。

時間がないのでツアーは止めて上野に向かいました。

東京芸大の美術館では「観音の里の祈りとくらし」展が開催中です。

本来は去年に東北で開催される予定でしたが、何らかの理由で1年遅れて東京での開催となりました。

地下の展示室に向かいました。

仏様が20体近く並んでいます。

ふだん事前に連絡してからでないと拝観できない仏様ばかりです。


ここでインパクトがあったのがいも観音様です。


兵火を免れるために田んぼの中に埋めたり、子供たちが夏に川に入れて一緒に遊んだそうです。


そのためかほとんど原形をとどめていませんが、現在まで大切に守られてきた様子がうかがえます。


また一番のインパクトは横山神社の馬頭観音様です。



以下、広報ながはまより




 社伝によれば、西暦593年、横山大明神が白馬に乗って、高時川上流木之本町杉野の横山岳、五銚子の滝のほとりの杉の巨木に降臨し、夢告に従いその大木で神像を彫刻し、奉安したのが杉野本宮横山神社の始まりといい、その後、高月町横山の地に分社勧請(かんじょう)して、本地馬頭観音像を遷座(せんざ)したと伝えられています。

 怒りの相をとりながら穏やかな表情、下半身を紡垂形にまとめる形姿、浅く穏やかで簡素に整理され左右対称的な衣文、ほとんど動勢を見せず静かに直立する点などに特色があります。その静かで穏やかな作風から、平安時代も末期から鎌倉時代初期にかけての作と考えられます。湖北地方の信仰文化や神仏習合の歴史等を考える上で、興味深い信仰遺産といえます。



普通の憤怒形の馬頭観音様とは違う表情です。


3本の脇手の付け根のつなぎ目がはっきりとしています。


すぐに分解できそうな感じがします。


何となく地元の大工さんが作った感じがしてしまいました。



一通り拝観して何か物足りない気がしました。


このような地元の方々に守られてきた観音様は守られてきた場所、守ってきた方々と一緒に拝観するのが一番だと思いました。


やはり夏のかんのん祭りに行きたいと思ってしまいました。