御霊神社から歩いて相国寺塔頭の慈照院に行きました。
京の冬の旅の公開寺院です。
一眼レフ若者が邪魔でなかなか入れませんでした。
消えるように呪術を使いました。
横に動いただけでした・・・
ようやく受付をしてお堂に上がって御朱印を依頼しました。
すると3種類あるのでどれにするか聞かれました。
めったに公開しない寺院なので3種類全てお願いしました。
中に神仏霊場(152社寺)の御朱印帳がありました。
たしかに相国寺の本坊は札所ですが、塔頭は札所ではありません。
上の3種類の御朱印を見ても相国寺の文字が1つもありません。
もし結願札所で厳格な審査が行われたら結願にならないかも知れません。
かと言って152ページぴったりの御朱印なので余白が全くなく、別に戴くことはできません。
せっかく戴いた御朱印の上に紙を貼って本坊の御朱印を戴くのも嫌な話です。
残念なことをしました。
この御朱印帳の持ち主が依頼するときにその場にいたら一言声を掛けることができたのに残念です。
慈照院は元は大徳院と称していましたが、延徳2年(1490)足利義政の塔所影堂となり、その法号より慈照院となりました。
当院第七世の仏性本源国師は桂宮初代智仁親王、二代智忠親王と親交を深め、寛永6年(1629)には桂宮が当院境内に御学問所を建てられ、同9年に国師に下賜されました。
この建物が現在の書院棲碧軒(せいへきけん)です。
こうしたところから数ある塔頭の中でも格式の高い寺と言われています。
国師は利休の孫である千宗旦(せんのそうたん)とも交流があって、茶室頤神室(いしんしつ)は宗旦との合作で「宗旦好みの席」とも呼ばれ、四畳半の下座床で躙口はなく、南側に障子二枚引の貴人口を設け、床には宗旦に化けた狐の伝説で知られる「宗旦狐」の掛軸があります。
ここで宗旦狐とは?
あるときに相国寺で千宗旦の茶会が開かれた。宗旦の見事な点前は、出席した茶人たちはもちろんのこと、普段からそれを見慣れている弟子たちですら見とれるほどだった。ところが宗旦がその場を去った後、また宗旦が現れ、遅刻して来たことを詫びた。そのようなことが何度かあり、弟子たちは宗旦に偽者がいると考え始めた。
後日、茶室に宗旦が現れたときを見計らい、弟子たちは宗旦本人が自宅にいることを確かめた上で偽宗旦を問い詰めた。すると偽宗旦は素直に自分が偽者であることを明かし、自分は寺の藪に住む古狐であり、ずっと宗旦の点前に憧れていたので、いつか自分もそのような点前をしてみたかった、もう二度と悪さをしないと詫び、狐の姿となって逃げ去った。弟子たちは宗旦狐の腕前に感心し、狐を追うことはなかった。
小さい庭なので順番にサンダルを履いて茶室を見に行くことができます。
久しぶりに京都の禅宗寺院の庭に入りました。