さて豊国神社に行ったら隣接する方広寺に行かないわけにはまいりません。
歴史の教科書では必ず出てきますが、私は初めて参拝しました。
豊国神社から行くとすぐに問題の梵鐘が見えます。
国家安康と君臣豊楽の文字が白塗りされています。
大仏殿の風鐸が転がっていました。
大仏殿の柱に巻きついていた金輪と連弁のあとです。
いかに大きい大仏殿だったか想像できます。
1595年(文禄4)豊臣秀吉の創建。6丈(約18m)木製金漆塗座像大仏が安置された。
1596年(慶長1)地震のため大破。
1598年秀吉の死後,秀頼は復興を命じる。
1612年銅像大仏が落成。
1662年(寛文2)の地震で再び大仏が小破。木像に造り替えられた。
1798年(寛政10)雷火のため大仏,本堂,楼門が焼失。
天保年間(1830‐44)に尾張国の有志が半身の像を造り,仮堂に安置した。
1973年火災で焼失。
とことんツイていないお寺です。
一時期は善光寺の阿弥陀三尊もいらしたようです。
しかし、 善光寺如来の祟りで秀吉が病に伏せたと考えられ、返そうと決めた翌日に秀吉は亡くなったそうです。
拝観を申し出ると若い僧侶(御住職かな?)が付きっきりで説明して下さいました。
秀吉の持仏と伝えられる大黒天や近代に作られた大仏などが残るのみでした。
梵鐘を見ただけで、お寺の中を拝観する人は殆どいないように思われました。




