長岡市逆谷(旧三島町)の寛益寺(かんにゃくじ)(真言宗)で、関係者たちの念願だった本堂の再建が進んでいる。
創建以来、幾度となく試練を乗り越えてきた寛益寺。
5月には12年に1度の本尊ご開帳の記念法要が約半世紀ぶりに本堂で営まれることになり、若月良英住職(78)や檀家(だんか)たちは「(寺の歴史にとって)大きな節目だ」と喜んでいる。
寛益寺は奈良時代の718(養老2)年、行基が開いた。
上杉謙信も祈願寺として帰依したとされる。本尊の薬師如来は越後3大薬師として知られる木像(像高77センチ)。寅(とら)年に開扉される秘仏で、県指定文化財。
ほか、寺には四天王像(多聞天、持国天)など貴重な文化財が数多く残されている。
本堂が全壊したのは1961年8月5日の集中豪雨。
裏山の土砂が住職の住む庫裏(くり)や本堂をのみ込んだ。
住職が赴任して3年目。
30歳の時だった。
外にいて無事だったが、妻と当時1歳半の長女は庫裏の中に閉じ込められた。
妻は自力で脱出し、長女は地元の男たちによって約4時間後に救出され、けがをしたが、一命を取り留めた。
住む家も家財道具も一瞬のうちに失った。だが、家族の命と本尊など寺の宝は残った。
当日は本堂の屋根を直す工事の初日。本尊を含む貴重な仏像は別棟の蔵に移されていたため、難を逃れた。
さらに当日は屋根の修理に7、8人の職人が当たるはずだったが、天候悪化を予想した住職が直前に工事の延期を判断。
強行していれば、大惨事につながる恐れもあった。
寛益寺は約300年前にも被災。江戸時代の正徳2(1712)年、山火事で本堂など諸堂が焼失した。
その際にも本尊を含む仏像は無事だった。
「神仏のご加護があったのでしょうか」と住職。
被災しては復興してきた歴史をしみじみと振り返る。
大水害の後、境内は新しく造営され、仏像を納める収蔵庫も建てられた。
だが、資金難から本堂再建は「夢のまた夢」だった。
宗教行事は庫裏や収蔵庫で代行。ご開帳の法要は収蔵庫の前にテントを張って営んだ。
「雨の心配をせずにご開帳をしたい」。
檀家の思いは募った。
十数年前から寄付集めを本格化。
一昨年夏に工事が始まり、外観部分は完成。
今回のご開帳には間に合った。
近くの檀家で、「逆谷の文化と伝統を守る会」の新保芳夫会長(59)=農業=は「再建をあきらめかけた時もあった。
資金不足で完成時期は未定だが、本堂でご開帳をやる夢がかなう」と目を細める。
ご開帳は5月8~11日(8日は檀家向け)。恒例の稚児行列のほか、各種記念行事が予定されている。