次に向かったのが方広寺です。
奥山半蔵坊、若しくは単に半増坊と言ったほうがわかるかも知れません。
臨済宗方広寺派の大本山です。
南北朝時代に後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開創されました。
立派な山門です。
橋の上に羅漢様が並んでいました。
羅漢さんに見守られながら山道を登ります。
神仏習合感が出ています。
雨が降っていたので油断して沢蟹が出てきました。
対照的な二人です。
上にも駐車場があり、大正時代に寄進された三重塔がありました。
五月の新緑です。
半僧坊真殿です。
ここで半僧坊とは誰でしょう?
お寺のHPより
方広寺の鎮守さま。伝えによると、無文元選禅師が中国より船に乗船して帰国の折、東シナ海において台風に遭遇されました。
風は帆柱を折れよとばかりに吹き荒れ、雨は滝のごとく落ち、波は逆巻いて禅師のお乗りになっている船をいまにも飲み込もうとする勢いでありました。
大きく揺れる船のなかで、禅師は一心に「観音経」をおよみになっておられました。
そこに法衣を着て袈裟をまとった、鼻の高い一人の異人が現れて、「わたしは禅師が正法を伝え弘められるために、無事に故国に送り申します」と叫び、船頭を指揮し、水夫を励まして無事に嵐の海を渡って博多の港に導いたのでした。そして、ここでお姿を消されたといわれます。
禅師がこの方広寺を開かれたとき、再びその一異人が姿を現し、「禅師の弟子にしていただきたい」と願い出ました。弟子になることを許され、禅師の身の回りにお仕えしながら修行に励んでおりましたが、禅師が亡くなられた後、「わたしはこの山を護り、このお寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」といって姿を消したのでした。
以来、この方広寺を護る鎮守さまとして祀られ、世の人々の苦しみや災難を除く権現さまとして、ご信仰をあつめております。
鎌倉の建長寺などにも祀られていますがここが大元だそうです。
さるぼぼのようなものが括りつけられていました。
本堂です。
木喰上人の仏像が特別展示されていました。
本尊の釈迦三尊像は現在修理中です。
来年春に帰ってくるようです。
そのときに半僧坊の像も御開帳になるそうです。
そのときには是非とも訪ねたいです。
半僧坊様の印がちょっと怖いです。