今回の滋賀の旅で一番印象に残ったのが石塔寺です。


拝観するような仏像がなかったので今まで敬遠していました。


でも普通の形とは少し違う石塔の写真を見てずっと気になっていました。


今回、地図を見てようやく訪ねようと思いました。



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受付を済ませて本堂に向かいました。


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本堂の手前には花がたくさん咲いていました。




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本堂脇の長い石段を登ります。


本当にずっと石段責めに遭う日でした。



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石段脇には石塔が並んでいます。


期待値が上がります。



石段を登りきったところには
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高さ7.6mの巨大な石塔がありました。



[お寺の概要]

 

 近江鉄道桜川駅の北東約2.2km、前方に布引山(ぬのびきやま)(261.9m)が横たわっている天台宗寺院。


阿育王山(あしょかおうざん)という山号で、開基は聖徳太子によると伝えられています。


山門の入口に「阿育王山」の額が掛かっており、赤松林の中の石段を登ると特異な形態をした三重石塔がそびえ立ちます。


そして広場一帯を、何万という数の五輪塔や石仏の群が埋めつくしています。


三重石塔は、奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古・最大のもので国指定の重要文化財です。


屋根は緩く膨れており、塔身は縦長、一番下の塔身は二枚石を合わせ、上部の安定をはかっています。


三重塔東側の五輪塔2基とその横にある宝塔も、国指定の重要文化財です。

 

 寺伝によると、釈迦入減(にゅうめつ)後100年、阿育大王(あしょかだいおう)がインドを治めたとき仏法の興隆を願って8万4千の塔婆(とうば)を造り、それに仏舎利(ぶっしゃり)を納めて三千世界に撒布しました。


平安時代、唐に留学した寂照(じゃくしょう)が近江国にもその1つが埋まっているとと聞き、日本へ向けた手紙を紙を木箱に納めて海中に投じました。


3年後にこの箱が明石浦に漂着し、掘り当てた塔がこの阿育王塔であるといわれています。


鐘堂前には「かれ野山父はは恋し 石の塔」という句碑があり、大小さまざまな石塔や石仏の表情に昔からの信者の願いが偲ばれます。




何とも壮大な話です。


この三重塔の周囲にはハイキングコースになっています。


夥しい数の石塔、石仏が万単位であります。



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珍しい甲冑をつけた石仏です。



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僧形(最澄?)と仏様の浮き彫り屋根付きの石仏が多いです。




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近くで見ても遠くで見てもいいですね。


この塔は百済系の渡来人によって建立されたもののようです。


奈良時代の朝鮮半島との交流がこのような形で残っていることに驚かされます。




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