さて、地下鉄今出川駅まで出て、烏丸御池で東西線に乗り換えて延々と終点の六地蔵まで行きました。
六地蔵から京阪宇治線に乗り換えようと思ったのですが、結構距離がありました。
橋まで渡るほどです。
スルっとKANSAIパスを使うので最短のJR奈良線を使わないという貧乏な旅行です。
京阪宇治駅を出て、橋寺放生院に向かいました。
以前、拝観したときに怖い住職さんでしたので躊躇しました。
勇気を振り絞って境内に入るとたくさんの銀杏が落ちていました。
靴底についてしまい、自宅に着くまで何か臭っているような気がしました。
寺務所のチャイムを鳴らすと奥さんが出てきたので安心しました。
そして本堂と宇治橋断碑の拝観を依頼しました。
本堂は非公開のようで、宇治橋断碑だけの拝観になりました。
[宇治橋断碑とは]
大化2年(646)に奈良元興寺(がんごうじ)の僧、道登(どうと)によって最初に架けられたと伝えられ、古来より「瀬田の唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数えられている宇治橋。
その宇治橋が架けられたいきさつを格調高い「六朝(りくちょう)風」の銘文で刻んだ石碑(重文)が、宇治橋東詰の橋寺にある。
後に下部を継ぎ足したことから「宇治橋断碑」と呼ばれ、上部の原碑は、天平時代に作られたものと推定される。
原因は不明であるが、いつしか姿を消し、長い間地中に埋没していた。
江戸時代の寛政3年(1791)に、寺の境内から上部3分の1の断石が発見された。
尾張の学者、小林亮適ら5人によって、鎌倉時代に編纂された歴史書「帝王編年記」に記されていた原文をもとに下の部分を補い、寛政5年(1793)に現在の姿に復元された。
群馬県の「多胡碑(たこのひ)」、宮城県の「多賀城碑」とともに、日本三古碑に数えられている。
江戸時代に復元されたとは驚きです。
文献を探し当てるエネルギーも今の何十倍もかかるでしょう。
この旅行で日本最古の石仏(石位寺)、日本最古の玉眼入り仏像(長岳寺)、日本最古の違法建築(浄福寺)に次ぎ日本最古の石碑を見ました。
けっこう意義のある旅行だったと思いました。
次に宇治川にそって歩くと宇治神社に着きました。
本殿の前に行くと何と茅の輪がありました。
作法どおりに8の字にくぐりました。
もう手馴れたものです。
今年、茅の輪をくぐった回数では日本の中でベスト10に入るのではないかと自負しています。
その割にはこけてばかりで穢れが全く落ちていません・・・
さらに上に行くと宇治上神社があります。
ここは世界遺産に登録されています。
世界遺産だけあって建築物が凄いです。
参拝を終えて血天井のある興聖寺に行こうと思いましたが時間がなくなりました。