昨日は世田谷美術館の「白州正子 神と仏、自然への祈り」展に行きました。

本当は今日行くはずでしたが、仕事が捗らず近場ということで昨日にしました。

いつもは駅から20分ほど歩いて行くのですが、かかとの豆が潰れてしまい、歩行困難なため、バスを使いました。

バスから降りようと思ったら後部ドアが開きました。

運賃先払いだったようです。

私が乗る時に運転手さんがいなかったので後払いだと思っていました。

慌てて、運転手さんのところに行き、運賃を支払ってきました。

貧乏だけども正直でありたいです。

会場に入ると熊野速玉大社の神像がありました。

今まで拝観したことのない像です。

何かパワーを持っている気がしました。

パワーという言葉は自分ではあまり使わないのですが、伊豆山神社の神像を拝観して以来の気持ちになりました。

何で仏像と違うパワーを感じるのか考えながら会場を回りました。

仏像は普段見慣れているかなとも考えました。

形の違いを考えると神像は手が隠されています。

あの手がポイントではないかと思われました。

仏像は手を出しているので360度外にパワーを出しています。

神像は手を隠しているのでパワーを内にずっと蓄積しているのではないでしょうか?

そんなことを考えていると白州さんも手に注目している文章を見つけました。

少し低い鼻が高くなった気がしました。

その他三重県の観菩提寺の十一面観音様の手が6本であることに興味を持ちました。

ただ神奈川県伊勢原市にある日向薬師の薬師三尊が図録にはあったのに会場にはいらしていないのが残念でした。