本日のpatchは、フリースケール・マラソンのpatch。
昨日載せた「モトローラ・マラソン」2004年のい後、モトローラの半導体部門が独立して「フリースケール社」となり、冠スポンサーを引き継いだため、オースティン・マラソンは「フリースケール・マラソン」と呼ばれるようになった。
オーステインに引っ越してきてから、毎年少なくともハーフマラソンとフルマラソンは1本づつ走っている。
今年のフルマラソンも早々に昨年6月にエントリーは済ませていた。
がしかし、まったくと言っていいほど準備をしていない。
しかも年は取る上に、体重もかなり増えた。
こんな状態で42.195km、出場しても大丈夫か?
はっきり言って、制限時間7時間に間に合う自信すらなかった。
だがしかし、一度やめてしまうとそれでもう2度とフルマラソンの戦いに戻って来れないまま人生が終わる気もする。
ここ数年、フルマラソンに出場し続けた私の強みは「42.195kmという相手がどんなものか知り尽くしている」ということだけだった。
「実は前半が苦しい」「半分過ぎれば疲れていてあたりまえと気が楽になる」「30kmに到達すれば後は普段走る近所の10kmと同じだけ走れば良いだけ」
これまでに走った30回のフルマラソンで、どこでどういう感覚になるかという距離感がつかめているからこそ怖くない。
それを1度途切れさせてしまうと、終わってしまう気がする。
とりあえず挑戦しよう。
とりあえず、の割には装備品やら数日前からの睡眠時間の調節やら、走力以外の準備には念が入る。
7時間以上かかるとコースの撤収が始まるので、念のため、今まで一度も持って走った事のないコース地図に各地点での足きり時間をメモし、ゼッケンの裏に貼り付けて走ることにした。
起伏の多いコース、全てを歩くと7時間以上かかる。
作戦は一つ。「下りは走り、登りは歩いて良し」
この作戦で、中間地点で既に時間的にはゴールが可能と思えたが、思いがけなかったのが胃の状態。
15km地点から5kmごとに摂取と決め、6個装備したエネルギー・ジェル。
最初の1個を流し込んだあと、胃に石が流れ込んだように重くて、胃がムカムカする。
一緒に取った水の量が少なかったのだろうか。
それがあとを引き、結局消費したジェルは、予定の半分の3個のみ。
最後は体内のエネルギーがすっかり使い果たされた感覚。
(40km地点くらいを通過中)
いつもは最後の100mはダッシュするのが、今日はそれも無理。
ゴールした瞬間、オフィシャルの掲示は、カタッと7:00:00を示した。
計算どおりの7時間。
(スタートラインまで5分かかったので公式記録は6:55くらい)
この大会、最後の公式完走者は、レースディレクターがゲートで待ちうけ、自ら目メダルを授与する。
7時間ちょうどのクロック掲示でゴールした私だが、スタートで全ランナーがスタートラインを超えるのに20分かかっており、ゴールゲートは20分延長で7時間20分までオープン。
この20分間にまだまだランナーはゴールしてくる。
残念ながら、公式最終完走者の名誉は受け損ねた。
なにはともあれ完走。
完走Tシャツとメダルを手にできた。
今までで最悪の記録で、ギリギリのゴール。
それでもここ数年の「そこそこ準備したのに記録がどんどん悪くなる」なガッカリに比べ、今回は、準備もなしに間に合ったという達成感で嬉しいゴールだった。
制限時間ピッタリの掲示とともにゴール。
そんな経験も、悪くい。
でもこれで底は打った。
来年はちゃんと準備して、今回から上向き上昇に変えていこう。
オースティンマラソン11年。
それぞれに想い出はあるが、今年は記憶に残るひとつになるのだろう。