「師事する」という言葉がある。
この言葉、どうも昔からイメージ的にしっくりこない。
私には師事「する」のは、師匠の方に思えてならない。
例えば「山田太郎に師事し」という文章が、山田太郎に教えたと思えてしまうのだ。
(逆の意味だとはわかっていても、いまだに、ね)
先達の技を習い受け継いでいくのに、「師」は一人とは限らない。
あのワザはこの師から、そのワザはこの師から・・・と引き継いだものを自分なりに昇華させていくのも手だ。
などと言っては大げさだが、息子が彼のサックスの「師匠」を増やした。
かねてより、細かい技術を学べる機会を模索していた息子。
学校のバンドの先生たちはトランペットやホーン出身で、サックス経験がない。
5年間教わっているサックスの師匠には大勢の生徒が付いており、今以上に息子だけに時間を割いていただくわけにもいかない。
そんなこんなで、息子なりに自己流で学んできた部分もあるらしいのだが、この夏に「自己流では、気が付かずに直せない欠点もあるものだよ」と勧めを受け、意を決して師を増やすことにした。
勧められたのは「厳しい先生」タイプ。
それには申し分のない、数々の厳しい逸話が耳に入ってきている先生に、レッスンを受けられるか打診した。
その段階で「動画サイトに学べるビデオをいくつもアップしてあるのでそれを見なさい。私のサイトで経歴その他を読み演奏を聴きなさい。その上でまだ<私から>学びたいなら授業料は**。」との返答。
つまりは、ビデオで学べるものは各自学べるのだから私の時間を費やすことはない。私という人間を知ってからどうしても直接学びたいなら門戸を叩きなさい。」という事だろうか。
先生の動画はすでに研究済みだった息子は、彼のドアを叩いた。
今日がその初日。
レッスンが終わる時間に、迎えに行った。
車に乗り込んでくる息子に「どうだった?」と尋ねると、返事は一言。
「tough・・・」
やっぱり噂どうりに厳しいようだ。
息子が語った一例。
音楽の歴史に関する事で「知っているか?」と問われたので、「知っている部分もあるけれど知らない部分もあり・・・」と細かく説明し答えようとすると「完全に100%解っていないときは、ただ一言NOと答えるべし」と遮られたらしい。
スタイルの異なる新たな先生との師弟関係が続いていくものなのか、花が咲き実を結ぶものなのか、さて、それはこれから。
ちなみに、新たな「師匠」は、ジャズ・サックスのブランフォード・マルサリス(ウィントン・マルサリスの兄)が数ヶ月前に「現在の貴方の先生は誰ですか?」と問われ「この方です」と答えた師。
マルサリスが師事する先生からレッスンを受ける息子。
そう言うと、なんだかすごそう。
いや、だからと言って、息子がマルサリスになれるわけではないのは重々承知、ではある。
♪今日も雄たけびのレッスン中