
アメフトシーズンが終わり12年生は最後のユニフォームを脱ぐ、などという話を昨日書いた。
息子、今年の春で、6年間続けてきたラクロス人生、最後のユニフォームを脱いだ。

ラクロスは好きだし、できれば続けたかったのだが、昨年1年経験して実感したのだ。
やりたいこと全てを続けるのは無理な時期に来たのだと。
高校に入る際に、時間が重なって物理的に無理なので、陸上を続けるのを断念した。
バンドとラクロス、何とか両方できるかと昨年試してみたが、予定が重なってどちらかを欠席せねばならない事態が少なくなかった。
どちらも欠席はマイナスにしかならない。
他のスポーツ、例えばアメフト、陸上や野球など、授業の一環なスポーツなら両立も難しくない。両者のコーチと先生が連携して、生徒にとって重要な方を選んで良いように話し合いをしてくれる。
だが、ラクロスは授業外のチームであり、どちらのミーティングでも「ラクロス?何者なのか知りません」「フルートの練習で練習に来れないなんて選手もいましてね(と、鼻で笑って出欠の重要性を説明をされた)」と、どうも犬猿の仲とまでは行かないまでも、連携などとられていないのはあきらか。
「二兎追うものは一兎も得ず」とまでは行かないまでも、どちらかが、もしくは両者が中途半端になってしまうので決断すべきな時が来たのを実感。
楽しんできたラクロスには未練を残しながらも、ジャズが捨てられない息子は、ラクロスを断念し、バンドマンの青春を選んだ。
先輩たちも、過去、そうやってどちらかを選んできたのであろう。両方やってきた先輩たちも、10年生以降は必ずどとらか一方に落ち着いているのは気がついていた。
昨年度、ラクロスとバンドを掛け持ちしていたのは、9年生の、息子を含めた3名だけだったのだ。
今年度のトライアウトを前に、既にラクロスは続けない決断をしていた息子。
それを聴いたB君は「じゃあ僕もやめよう」と釣られるようにラクロスを辞める決断をした。
息子とB君、どちらもジャズバンドにも所属しており、予定の重なりが通常のバンドだけよりも多くなってしまうのだ。
残るC君はトライアウトに参加したものの、5日間のうちの初日に参加しただけで「やっぱり僕もやめるわ」と。
そうして、ラクロスとバンド兼業だった三羽烏は、みんな今年からバンド専任となった。
今でも息子は時々「もしラクロス続けていたら・・・」「陸上で中学時代、自分の方がいつもトップを走っていたのに**君がメダルを取った。僕が続けていれば1番だったかもなあ」などと淋しそうに語ることがある。
人生、時にはどうしても選択を迫られ、選べないものが出てくる。
淋しいけれど、仕方ない。
終わりを自分で決断できただけでも良かったと思って良いのかも知れない。
特にスポーツなど、故障等、思いがけず終わりを迎えてしまうことだってありうるのだから。

さて、そんなラクロスさよなら決断をした、ジャズバンドメンバーでもある息子(サックス)とB君(トロンボーン)。
ジャズの地区バンドオーディション、ラクロスのトライアウトの期間と重なる。
昨年ラクロストライアウトを1日欠席してジャズオーディションに出かけた息子とB君、どちらも結果は地区バンドまであとひとつで届かず。
ラクロスを諦めた今年は、どちらもジャズ地区バンド入り&エリアオーディション進出獲得。
更に通常バンドのオーデションも、昨年は二人とも地区第二バンド入りだったのが、今年はこれも揃って第一番バンド入り&エリアオーディション進出獲得。
二兎を追わなくなったのは、やはり悪くない選択だったのかもしれない。
・・・などというのは、自慢すたくて書いているわけではない。
「ほら、それでよかったのよ」と私自身を納得させたいのだ。
できればスポーツを選んで欲しかったというのが私の本音。
自分で選択したのだから悔やまないっ!な息子より、実は親の方が未練が断ち切れないのかもしれない。
本日のピンズは「本日のTシャツ」に戻って、ラクロスMANGIAカップ戦のTシャツ。
BGM「Oh Yeah!」by嵐
♪あの日に戻れるとしても 同じ道選ぶだろう