
息子を見ていて、DNAに仕返しされているようで苦笑する事がある。
私は子供の頃からトロかった。
母に言われていた事。
「幼稚園の頃から、出入り口に一番近い席にいながら、先生さよなら~で子供たちが出てくると、いつも一番最後に出てきた。」
これは単純に行動がトロかったと自分でも思う。
中学の頃は、学校から下校するのに「本当にもう帰っていいの?」と先に出るのが不安でわざと最後の方で帰っていた。
さらに、友達と一緒に下校すると私の家の方が学校から近く、先に皆から離れていくのが寂しくて、一番遠い友達の家まで一緒に歩いてそこでさよならしてUターンしていて、余分な時間を費やしてやっと帰宅。

それから何十年も経って、現在。
例えばラクロス練習の息子を迎えに行く。
練習が終わって子供たちがグランド脇に並べたバッグのところになだれ込み、一人一人とグランドから出てくる。
息子は・・・道具をバッグに片付けているチームメイト達とダベっていてウロウロ。
皆が居なくなった頃にようやく片付けて最後にグランドから出てくる。
何でいっつも最後なんだよ~とややイライラするのだけれど、ここで母の言葉が脳裏によぎる。
母も私にイライラしていたんだろうな~
因果は巡る・・・。
さて、これは息子がトロかったのかどうかわからないけれど・・・
ラクロスの練習で、ジャージが配られた。
選手たちが配布にど~っと集まり、手渡されていく。
背番号に意味はなく、早い者勝ちで好きな番号を選んでいく。
こういうときも息子は「我先に」とは逆に最後になることが多い。
今回もどうやら最後になったようで、自分のラッキーナンバーである「6」はすでに誰か選んでしまっていた。
というか、残っていたのが「2」か「25」のみ。
というわけで、今年の秋シーズンは背番号「2」となった。

息子いわく、2を選らんだ際に、配布を担当した父兄の方が「本当に2で良いの?」と念を押されたらしい。
それを聞いて、言われてみれば1桁の番号は人気なようなのに、なぜ「2」だけ最後まで残っていたのだろう?と不思議に思う。
「13」ならなんとなくわかるけど、もしかしてアメリカで「2」という数字には歓迎されない意味でもあるのだろうか?
さらっと見てみたけれど、特に嫌われる数字でもなさそうなのだけど、地元高校のラクロス・バーシティ(1軍のようなもの)も背番号2がいない。
巨人軍の歴代背番号なんていうのもチラッと見てみたら、「1」「3」「4」の永久欠番にはさまれ、「2」は欠番でもない普通の番号。
嫌われはしないが目立たない番号?
数字の見た目がいまいち?
ナンバー2というのがナンバー1の影的なイメージだから?
なんてね、ただ偶然残っただけなんだろうけどね、多分。
息子の過去のチームでも「2」を着けた子は活躍しているし、ジンクスなんてもの、ないないっ!よね?
本日のピンズは、ソルトレイク・オリンピックのパナソニック社のスポンサー・ピン。
開催年の「2002」をかたどって、「2」「0」「0」「2」の4つのピンがセットになったものの先頭部分の「2」。

バラバラで使うと、「なぜ2?」と意味がわからないでしょうね。
BGM「One」by Tree Dog Night
♪Two can be as bad as one