
昨日、息子を学校に送っていった時、ジーンズにブーツで校舎に向かう女子生徒が目についた。
「うわっ、ブーツ?」
と、ちょっと驚いたのも、オースティンでは既に半そで半ズボンでOKな天候なので、ブーツで登校は暑くない?と思ったから。
オシャレには忍耐も必要だったりすることあるよね~と一瞬思ったのだけど、どうやらそういうのではなかったようだ。
私が「ブーツ?」と言ったのを聞いて息子が、「ああ~そうか今日はブーツの日だ。」
それを聞いて私も思い出す。
そういえば今週は「Diversity(多様性)」について考える週間で、服装で啓蒙運動を現そうというのだった。
月曜「Walk in someoneelse’s shoes」(他人の気持ちになって考えよう) - 左右違う靴
火曜「We are all tied together inthe same world」(世界の人々はみんな結ばれている) - ネクタイ
水曜「Love, peace, and diversity」(愛と平和と多様性) - タイダイ
木曜「Stomp Out Name Calling」(悪口にさようなら) - ブーツ
金曜「Hats off to diversity」(多様性に敬意の脱帽) - 帽子
そういうわけで、昨日は木曜日でブーツの日だったのだ。
なるほどね。
本日のピンズは、ブーツを履いた「ヒューストン・ロデオ」シンボル・キャラクターのピンズ。
帽子もかぶっているから、今日の帽子の日でもOKだわ。
こういう、学校が行う「服装で啓蒙を表現」という週間、小学校の頃からあった。
小学校の頃は、息子も一応参加(手持ちで対応できるときのみ参加という程度)してきたけれど、中学になってからは「ああ、そういえば」で、息子の興味が薄れてきた。
こういう催しだけではない。
小学校の頃は「何でもいいから楽しい」と思えたものが、そう単純には楽しくなくなってきたもよう。
「小学校の頃って何でもハッピーだったよな~。ああいうシンプルにハッピーだった時代に戻りたいよ」などとつぶやく息子、12歳。
そうだよね~。
小さい頃って、シンプルだよね。
例えば、子供が小さい時の私の疑問。
「なぜに子供って風船を持つだけでなぜにあんなに嬉しそうなのだろう?」

(10年前の息子)
風船を持つだけでニコニコできなくなるように、大きくなるにつれ、喜びは単純には得られなくなる。
例えば、ボールを投げるだけでニコニコしたいたのが、友達と投げ合う、チームで試合する、試合で勝ったり自分が納得する良いプレイが出来る・・・と、喜びの得る基準が高度化していく。
トゥイーンの息子、もうすぐティーン(thirTEEN)に突入する。
子供時代を懐かしむ息子のつぶやきに「ティーンエイジ・ボーイの憂鬱」という本があったな~と思い出す。
あれ?違うか。
「テニスボーイの憂鬱」か!
チャーリー↑良いレポートだけど、甘いねぇ~。
ティーンのママは嫌われようがこの24時間を毎日繰り返すのよ↓