
空港で、息子を見送ってきた。

今日カリフォルニアに向かい、明日から4日間、米国各地から集まったチームとラクロスのトーナメント試合。
本日のTシャツは、息子が向かった「カリフォルニア」もので。
カリフォルニア州立大学の体育会系Tシャツ。
これは、UCバークレー(カリフォルニア州立大学バークレー校)の校内生協売店で買ったもの。

このトーナメント旅行、親は観に行きたければ各自旅行を手配すれば、試合観戦はできる。(宿泊先の大学寮には入れない)
あけてみれば、どうもほとんどの子の親が試合観戦にいくようだった。
我が家は、夫が忙しくていけないのもあって、チームでまとまっていく旅行に子供一人参加させた。
こういう形で独りで旅行に参加させるのは初めてで、大丈夫か悩んだ。
あんまりしっかりしてないから、息子。
心配しながら、ふと自分が始めて親なしで1週間ほど旅行に参加したのはいつか考えてみた。
うん~と・・・あれだな、日本赤十字が開催した天の橋立での臨海学校。
それは、私がちょうど今の息子の年齢のことだった。
息子よりしっかりしてなかった私が行ったのだから、息子は大丈夫だろう。と、心配がかなり和らいだ。
その、私の参加した臨海学校。
小学校低学年で友たちだったHちゃんが、転校して合えなくなって数年後、突然電話をかけてきた。
「臨海学校に行くからあなたも来れば合えるよ!」教えてもらった新聞記事を親に見せた。
母は参加をOKしてくれた。母にとっては、内気な私がこういうものに参加して変わるかもしれないという思いがあったのだろうと思う。
初めて親元を離れて知らない子達と過ごす数日間。
実は、夜中に母が恋しくて泣いた。
で、目的だったHちゃんとの再会は、お互い違うグループになり、部屋がかなり離れていた。ある日、Hちゃんが廊下に友達とやってきて、おそるおそるという感じで「あの・・・Chibi-tさん?」と声をかけてきた。
「あっ!あっ!」
再会に驚いて何と言っていいのか、「あっ!」とだけ言った瞬間・・・
Hちゃんとその友人、バタバタと走ってどこかへ行ってしまった。。。
えっ?なんで~???
なんだか子供心にショックで、その後私から彼女を訪ねることも出来ず、その一目で再会は終わってしまった。。。
最初の目的だったHちゃんとの再会は、そうやってあっけなく終わってしまったのだが、ここで別の出会いが。
同じグループに、学校は同じだけどクラスがいままで一緒になった事がなかったのでお互い知らなかったNちゃんという子がいた。
このNちゃん、私と正反対の明るい積極的なタイプ。話をしているうちに私はすっかりNちゃんに憧れてしまった。
そして翌年、偶然Nちゃんと学校のクラスが一緒になる。
Nちゃん、小学校なのに私が驚くことをいろいろあった。たとえば、私が「それって誰?」というような状態だったのに、彼女は「私が憧れる人なのよ」といって「鉄の女」マーガレット・サッチャー 宛に手紙を書いて出していた。
小学生向きの大きな本でなく、文庫本を読んでいる同級生を見たのも彼女が初めて。映画などアニメしか見た事がなかった私に洋画の話や外国の俳優の話などをしてくれて、面食らったりもした。
中学に進学して、部活を選ぶのに、私は「Nちゃんが入るから」という理由だけでそれまで全く見たこともやったこともないソフトボール部に入ることに決めた。
中学校の登校は、毎朝Nちゃんの家に寄り、玄関先で「Nちゃ~ん!」と呼び、一緒に登校した。
今考えると、あの夏の臨海学校に参加していなければ、Nちゃんとあれほど親しくなる機会はなかったかもしれず、私の人生は少なからず違うものになっていたはずである。
あの時Hちゃんが電話してこなければ・・・
あの時母が参加OKしていなければ・・・
人生って、ひょんな偶然の繰り返しでつながって作られていくものかもね。
そして、あの夏、臨海学校に独りで参加したことは少し自分の自信にもつながった。
「かわいい子には旅をさせろ」
そういう思いで私を送り出してくれたのであろう母に感謝している。
そして、同じ思いで、私は息子の成長を期待して独りでチーム旅行に送り出した。
親から受け取った愛を、親孝行も出来ずにかえせないでいるが、せめて、私がうけとったものを今度は息子に贈ることでつなげていけたらと思う。
そしていつか、息子が子供を授かったら、今回の旅行の事を思い出しながら、今の私の気持ちで今度は息子が子供を旅に出す番になってくれれば幸いだ。
