
こんなブログを書いているくらいだから、私はTシャツにはうるさい。
手に入るべきシャツが手に入らないと、たかがTシャツとわかっていてもガッカリ度が多分人より大きいのではないかと思う。(逆にTシャツを手にした幸せ度は人より大きいであろうとも思う)
今週の月曜、17日に書いた「マラソンキッズ」の話。子供がいただいた「マラソンキッズ・グッズ」の写真で、お気づきになられた方はいないであろうとは思うが、完走メダルが4個あるのに完走Tシャツは3枚しか写っていない。
というのは、昨年度どうも学校から事務局に、完走した子供たちが提出した走破記録が送られるのが遅かったのか送られなかったのか・・事情はわからないが、子供の学校はどうもTシャツを貰いそこねたようなのだ。
たかがTシャツ。だが6ヶ月間、42kmを走り続けた子供に最後に貰えるはずの完走シャツがない。
以前窓口になっている方に尋ねた時には、これから来るような返事だったが、それからもう何ヶ月もたつ。
もう今年度のシーズンが始まったので学校からはもうシャツは来ないであろうから、直接事務局にメールを出してみた。完走したがシャツがなかった息子用に、もしかしたらそちらにシャツの残りがないでしょうか、と。
事務局からは丁寧な返事をいただき、本部にシャツを受け取りに行くことになった。
そして今日、本部をたずねた訳なのだが、運営局長の方も出ていらして、マラソンキッズに参加した息子や学校の話などをする。このマラソンキッズのプログラムもすばらしいと思うが、事務局の方たちもとても感じの良い方たちで、シャツを手にしたのも嬉しいが、この方達と話ができたのも楽しく、嬉しく思えた。
(息子の分を貰っておしまいとはいかないので、ウチの学校の他の子達の分も学校側の代表者が連絡すれば今からでもなんとかできる道をつなげてきた。)

ちなみにこれがその完走Tシャツ。他校の子達が誇らしげのトロフィー柄を着ているのを目にするたび、完走したのにもらえなかったのが淋しい気がしていた私。
実は似たようなことが以前にもあった。
06年のオーステイン・マラソンでの事。この年のマラソンの日、オースティンは急に寒波に見舞われ極寒の中でのレースになった。前半にかいた汗が冷え、体中が氷のようになり自己最悪記録でゴール。
その時点で、完走Tシャツはエントリー時に申請したサイズはなく、LとXLサイズしか残っていなかった。
大会HPの掲示板で同じような方たちの書き込みがあり、連絡先が書かれていたので事務局にメールをしてみた。
「小さいサイズが事務局に残っていませんか?」と。
多分ないという返事だろうと思っていたが、その後事務局から本部に取りに来てください、と返事が来た。
出かけると、私の分を含め15人分ほどが引き取りに来る人のために封筒に入れて並べなれていた。対応に出てこられたのは大会ディレクター。ゼッケンにTシャツ引き取り券が付いていたのでそれを渡すと、ゼッケンにプリントされている私の名前を見て、ディレクターJさんは「おお!**子!こんにちは!」と。
名前で私が日本人だとわかったというのに驚いていると、日本には何度も言っていて、ちょうど明日から九州に行くのだとおっしゃられた。親日家の方のようである。
このJさんも、とても感じの良い方だった。少し話をしたあと、事務局を去ろうとする私にJさんが最後に「また来年もこのマラソンを走ってね」と言われた。
翌年、第1回の東京マラソンの開催要項が発表された際に、とても心引かれたのだが、開催日がオースティン。マラソンと同日。結局Jさんの「来年も走ってね」の一言の優しい響きが忘れられず、オーステイン・マラソンをとることにしたのだった。
本日のTシャツは、その、事務所まで受け取りにいった「06年オーステインマラソン完走Tシャツ」。
配られた完走Tシャツは、スポンサーであるMIZUNO製だったのだが、どうやら「事務所に残っていたら」とメールしたのに、新たに追加でプリントされたようで、このシャツはB.O.A製。
B.O.A製完走Tシャツは、私を含め数十人分しかこの世に存在しないのかも、という貴重な一枚。
シャツが貴重なことより、事務局やJさんの丁寧な対応にとても気分がよかったのが、このシャツを見るたび思い出せて、幸せな気分になる一枚、である。