12月2日、愛猫チビがあの世に旅立ちました。
17歳と8ヶ月、人間の年齢なら84歳の高齢でしたが、最期まで品のいいお嬢さんのような愛くるしい猫でした。
最期の日々を思い出すと今でも泣けてきます。
手のひらサイズの赤ちゃん猫の頃、我が家にやって来たチビ。ひとり息子の妹分として、2つ違いのチョロのお姉ちゃんとして、たくさんの思い出と幸せと愛情を私達に残してくれました。
今年、10月半ば…
だんだん食が細くなり水しか飲まなくなったので、これはおかしいと思って医者に連れていったところ、ステージⅣの重度の腎臓病に罹っており、点滴治療のため、即、入院となりました。体重も元気な頃の半分に落ちていて、脱水症も酷かったのです。
今年の夏頃、痩せて食事を吐くようになったのですが、年を取ったせいだろうと勝手に判断し、なかなか医者に連れて行かなかった自分を責めました。
毎日、面会に行きましたが、体は弱っているのに気が強く、優しい看護スタッフにも慣れてくれず、このままではチビのストレスが続くので、先生の勧めもあって、入院8日目に家に連れて帰りました。
皮下への点滴注射の仕方を教わって、毎日、点滴で水分を補給し、針の無い注射器で薬を溶かしたスープや水、腎臓食を口に運び、自宅での療養生活が始まりました。
トイレには何とか自力で行くものの、ジャンプする力も無くなり、一日のほとんどを猫用ベッドでまどろみながら過ごしていました。点滴と朝晩の薬と食事を続けながら、なんとか元気なチビに戻って欲しいと祈るような気持ちで看病を続けました。
温かくしてやってくださいと言われていたので、私が人間用の腹巻きで手作りした服を着せてみたら、嫌がらずに着ていました。
夜、部屋の灯りを消すと、いつものように布団の上にやって来て、私のお腹の上で眠るのです。寒くないように膝掛けで覆ってやり、布団の中のチョロ、お腹の上のチビと、毎晩、一緒に寝ました。
歳を越せるかどうかはチビの生命力次第…と言われていましたが、この幸せが1日でも長く続くようにと願いました。
1週間おきに診察に連れて行き、体重が50グラム〜100グラム増えているだけで、ホッとしました。でも腎臓病の検査の数値はなかなか良くなりません。点滴のむくみが出て辛そうな日もありました。
ペット保険に加入していなかったので万単位でお金はかかりましたが、点滴と投薬と食事介助が一生続いたとしても、チビが生き延びてさえくれるなら…と苦にはなりませんでした。
ですが、療養生活が1ヶ月を越えた11月の終わり…体力のないチビにとっては点滴も苦痛だったのか、少しずつ元気が無くなっていきました。
そして12月2日。
昼休みに様子を見に帰った夫から、チビがトイレの砂の上でぐったりして動かない、少し痙攣を起こしている、もう駄目かもしれない…と連絡がありました。
職場に事情を伝え、仕事が一段落したところで早退し家に飛んで帰りました。
…チビはベッドでうつらうつらしていました。
チビ、チビ!お母さんだよ!と声をかけると、薄目を開けて私を見て、口を小さく開けて何度も鳴こうとするのですが…声が出ません。
お母ちゃん、お母ちゃん…と呼ばれている気がして、どっと涙が溢れました。
院長の奥さんに電話で様子を伝えましたが、冬の夕暮れの冷たい風が吹く中、チビを外に連れ出すのは酷な気がして、ベッドごと膝に乗せて、顔をくっつけて名前を呼び、体や手足を撫でながら見守りました。
チビ、うちの子になってくれてありがとうねと、チビの目を見て伝えました。
私が帰って1時間半が経った頃、最期に目を大きく見開いて痙攣し、チビはそのまま息を引き取りました。腎臓病の猫はそれほどの痛みや苦しみを味わうことなく最期を迎えると聞いてはいましたが、本当に安らかに逝ってくれたかな…苦しくはなかったかな。
まだ温かくて眠っているようなチビを、ひざ掛けに包んで抱きしめました。息子もチビに会いに来て、愛しそうに何度も何度も撫でていました。
亡くなったのが金曜日の夕方だったので、金曜、土曜の二晩を共に過ごし、ゆっくりお別れをしてから、日曜日の夕方、ペットセレモニーに連れていきました。
息子と私が書いた手紙と夫が用意した花と、好物のドライフードを添えて、チビはあの世に旅立ちました。
17歳とはいえ、別れの覚悟ができていませんでしたから、1月半の療養後に逝ってしまったチビを思うと、今でも後悔と寂しさで泣けてきます。
ひとりで留守番しているチョロが寂しくないよう見守ってやってねと、天国のチビに語りかけています。