昨日は私の体調不良の記事に暖かいコメントを頂き、皆さんには本当に感謝します。
 
本日は更新を休もうと思ったものの、急報というメールが入ってそれを読み、多分新聞のニュースにもならないことだろうから、皆さんにお知らせしたくて今日記事を更新する。
 
そもそもこのブログは日本と台湾の交流活動の一端を担うことが目的ではじめたブログであり、ハンドルネームの「千葉日台」も「千葉発日台共栄」からとったものである。
 
その関連なので緊張性肩こり頭痛とは言っていられない。
どうせ日付が変わる前の時間に目が覚めたのである。また記事をアップしたら導眠剤で朝まで寝るので時間を有効活用して記事にしよう。
 
 
台湾総統府元国策顧問で、昭和大学名誉教授、そして台湾独立建国連盟の黄昭堂主席が11/17に亡くなったという。享年79歳(台湾では一般的に数え年とするので80歳となる)
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黄主席とは私は数回会っている。
最初に会ったのは2004年の日本李登輝学校第1回研修団のときです。
ユーモアを交えた語り口で90分の日本語の講義は居眠りをする気さえ起こさなかったことを覚えています。それから2,3回、日本李登輝友の会関連の行事で出会った。
 
また、2007年に李登輝元総統が東京来場の際にも同行し、成田空港でのペットボトル事件があったときには李登輝元総統の後ろにいたと思う。
 
身長175cm、体重100kg超の「西郷どん」というニックネームのとおり豪放磊落であるが、根は非常にまじめで非常に気さくで気配りの出来る方だった。
研修団の休憩時間の時に私に向かって「教室の中は禁煙で息が詰まるわ、タバコを吸えない所では生きた心地がせんよ」と笑いながら話しかけてきて外に出て、私はタバコは吸わないが黄主席と数分間雑談をした思い出がある。
  
そして2007年に日本李登輝友の会の支部長会議に台北に出向いた時に晩餐会で一緒に写真をとってくれた。この記事の写真はその時のもので、写真撮影後にあの大きな手で握手をしてくれた。
 
さらに埼玉県支部長とのツーショットでは「どっちのお腹が大きいか」と言いながら写真撮影に応じてくれたのが印象に残っている。
 
ただ、この体形が故に心臓病や高血圧の持病もつきものだったのだろう。
そして奥様を数年前に亡くされている事もいろいろな面で堪えたのかも知れない。
今回の亡くなった原因はよくわからないが、つい二週間前には日本李登輝学校研修団で講師を務められたというので、日本李登輝友の会の柚原正敬事務局長が驚くのも無理は無い。
 
ただ、これはもう一つの現実を嫌でも突きつけられる事にもなる。
日本教育のあった今の外国、特に台湾では顕著だが、いわゆる日本語世代は自然の摂理から少なくなってきている。
 
台湾の日本語世代は元気であっても70代から80代、あるいは100歳近い人もいる。
後10年、20年たてばどういうことになるだろうか。
日本人より日本人らしいといわれる李登輝元総統は現在暦年齢で89歳。
先日大腸がんの手術を受けたという。
経過は良好とは言うが、だからと言って来年の総統選挙に出て(出れば多分当選するだろうが)どうのという訳には行かない。
 
私が初めて台湾に行ったのが1996年、あれから15年経っている。
その時に当たり前だったことが当たり前ではなくなっている典型的な事が日本語世代の所在です。
  
日本語世代は概して言うと親日的な人が多く、その影響で家庭内での国民党による学校反日教育の消毒がまずまず成功し、それが韓国とは違って台湾人は若い世代も含めて親日的な土壌を作っているのはまず間違いないだろう。
 
一方でその学校教育から会社での序列まで台湾人は日本統治を離脱した後は不法に占領統治を行った蒋介石国民党軍閥政権で無理やり中華思想を強制され、また、政治弾圧などもあり、苦難の道を歩いてきた。
 
その間に日本は一体何をやってきたか。
日華断交、そして特に1990年代後半からひどくなったが、媚シナ一本で台湾に対してはひどく冷たい仕打ちを行ってきた。
 
河野洋平などは何かの会議の途中に台風で飛行機が台北桃園空港に不時着した時には機内から一歩も外に出ず、さらにそのことをシナの外相に誇らしく語ったというバカタレぶりを発揮している。ちなみにその時の総理は村山富市である。
本当に社会党政権と言うのはロクでもない政権である。
 
橋本龍太郎もひどい。李登輝元総統が現役時代に「尖閣諸島は日本領、ただ、漁民の生活については配慮してほしい」とメッセージを送っていたにもかかわらず、シナのスパイ女と寝ていた弱みからか無視し続けた。何しろこの頃は中央官庁で公用で台湾に行けるのは課長代理までと言うからあきれた。
 
最もシナなど特定アジアに甘い日本政府や官僚は馬英九総統など反日的な連中に対しては締め付けも緩いが、李登輝元総統が2000年4月に来日すると言うときなどは田中真紀子やら河野洋平やらは自民党政権の森総理の意向に反して「ビザ発給反対運動」をやっていたという。
 
最後は森喜朗総理(いまはシンキロウかな)だけでなく当時野党の民主党鳩山由紀夫氏(いまはルーピーかな)なども強硬にがんばってビザが降りたが、とにかくこうした親日的な台湾人に対しては日本政府や官僚は冷たい態度をとり続けた。
 
森総理の後を引き継いだ小泉元総理も「私は台湾には一度も行った事がないし、縁もない」と言った。反シナからある程度は台湾でも人気の高い小泉氏でさえこんな状態です。
 
 
台湾の日本語世代はそれでも日本国内の政治状況をある程度は理解して少々の事は目をつぶってきたが、日本統治時代を知らないそれ以下の世代は、特に初期は蒋介石反日教育を受けた影響もあって日本に対する見方は複雑だし、何よりも言葉の壁もある。
 
今の台湾人は日本語の勉強熱が高くて積極的に日本文化を理解しようとするというのは大体40歳以下の人で、社会の中枢にいる50代、60代の人はやや日本に対する縁が薄い感じはある。
 
日本李登輝友の会をはじめ、多くの民間交流があるから、今回の震災で多大な義捐金を送り、心温まるメッセージを送ってくれた台湾。
それには何もドラえもんやハローキティが好きだからだけではなく、黄主席などの日本語世代が台湾社会に果たした影響も多大にある事は知っておきたい。
 
 
このブログでも日台共栄を訴えてきて2,100以上の記事を書き、40万以上のヒットをこの4年半で集めたものの、結局は「日台交流」ではまったく効果が上がっていないように、本当に口で言うほど交流活動は簡単ではない。
 
 
このままでは台湾はやがてシナと一緒にならなくても、日本ともそんなに親密にならず割り切った関係でドライになることは避けられない。
台湾は台湾で生き残る為には自分たちで方策を考えるのは当然で日本側の都合まで忖度する余裕は無い。だいたい今の日本、アメリカが何かしてくれないと自分の国さえも護れない訳で、台湾のことまで気にする能力もない。
 
今一度日本は本当に野田首相率いる民主党のトウヘンボク政治に惑わされずに本質は何かを再認識する時期ではなかろうか。
 
本当に惜しい方を亡くしました。
黄主席のご冥福を心からお祈りいたします。
 
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日本李登輝友の会・柚原正敬事務局長からのメール(11/17付、原文のまま)
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本日午前、元総統府国策顧問で台湾独立建国聯盟の黄昭堂主席は白内障の治療後、大動脈剥離による心停止のため急逝されました。

11月4日、本会の第16回李登輝学校研修団においてご講義いただいたばかりで、突然の訃報に接し、言葉もありません。これまでのご指導に心から感謝申し上げるとともに謹んで哀悼の意を表します。
黄先生の略歴と、急逝を伝える本日の台湾紙「自由時報」の邦訳記事をお伝えします。

黄昭堂先生 1932年(昭和7年)、台湾・台南県生まれ。台湾大学経済学部を卒業後、日本に留学。東京大学国際学修士、社会学(国際関係論)博士。東京大学東アジア政治史講師、昭和大学教授、社団法人台湾安保協会理事長、総統府国策顧問などを歴任。台湾独立建国聯盟主席、昭和大学名誉教授。主な日本語の著書に『台湾民主国の研究』(東京大学出版会)、『台湾総督府』(教育社歴史新書)、共著に『台湾の法的地位』(彭明敏、東京大学出版会)、『大中華主義はアジアを幸福にしない』(金美齢、草思社)、『続・運命共同体としての日本と台湾』(中村勝範他、早稲田出版)など。2011年11月17日、逝去。


台湾独立建国聯盟リーダー、黄昭堂急逝 姚嘉文が哀悼の意
【自由時報:2011年11月17日12時28分】

これまで台湾独立運動に生涯を捧げてきた台湾独立建国聯盟の黄昭堂主席は本日午前、大動脈剥離離で心停止し、台湾大学病院に搬送されて救急治療を受けたものの亡くなった。享年80。台湾国家連盟リーダーの姚嘉文氏は驚きながら、黄氏の独立運動に対する努力を讃えた。

台湾独立建国聯盟の王康厚秘書長は病院に駆けつけ「黄主席は午前11時頃に亡くなった。私の知る限り、黄主席は元々心臓病や高血圧の持病があり、今朝、大動脈剥離のため心臓が停止した」と述べた。

姚嘉文氏は「私の知る限り、黄主席は和信病院で目の治療を受けられていたと聞いたが、主席の急逝が持病と関連があるかどうか」と述べたものの、王康厚秘書長は、目の持病と急逝は関係ないと述べている。

姚氏はまた「黄主席は一生を台湾独立運動に尽くし、台湾の独立を強く主張した」と、黄主席のこれまでの活躍を讃え、「黄主席にはこれまでいろいろご指導いただいており、突然の訃報に心底驚いた」と述べた。

台湾独立建国聯盟事務所によると、今はまだはっきりとした状況が分からないので、詳しくは後にプレスリリースを発表するという。

日本李登輝友の会 事務局長 柚原正敬