前回の明暦の大火・文化の大火と並び
江戸三大大火とされる明和の大火(行人坂火事)
目黒区下目黒・行人坂に建つ大円寺が火元ですが
原因は放火でした。( ˘ω˘ )
明和9年(1772年)2月29日願人坊主真秀
以下無宿人7人が大円寺に火をつけ・麻布や芝
霞が関・日比谷・日本橋・外神田・湯島聖堂
下谷・浅草・千住まで延焼したようです。(*´ω`)
延焼により934町・大名屋敷169・寺社382
橋梁170・犠牲者14,700人・行方不明者
約4,000人という明暦の大火に次ぐ大惨事
となりました。(´-ω-`)
(明和の大火・行人坂火事の消火活動の様子)
当時の老中田沼意次の屋敷にも延焼し・この放火を
捜索したのが火付盗賊改・長谷川宜雄です。
時代劇でお馴染みの鬼平長谷川平蔵宜以(のぶため)
のお父さんです。(^^♪
明和の大火・行人坂火事の犠牲者を追悼するため
大円寺境内に造られた石造五百羅漢像。520体
ほど造られたようです。
この年は凶作など天災が続き・明和9年はメイワク
(迷惑)な年となり・11月16日安永に改元されました。( ˘ω˘ )
先程まで皆既月食を眺めていた・あまきオフィス
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