源頼朝の死後・北条氏の勢力が強まり
梶原氏や和田氏・比企氏など有力御家人が
粛清される中・千葉氏は下総守護を務め
日本各地にも領地を持ち続けました。(^^♪
鎌倉時代に守護を務めぬいたのは千葉氏と
下野守護小山市のみとのことです。
元寇の際も千葉頼胤は奮戦し・その子である
宗胤は元の再来に備え九州に留まりました。
(九州千葉氏)
しかし室町時代になると関東の権力争いに
巻込まれ・一族に内紛が起こり・千葉胤直は
一族の馬加康胤に滅ぼされました。( ˘ω˘ )
馬加千葉氏は本拠地を千葉城が建つ千葉市
中央区亥鼻から酒々井町の本佐倉城に移し
新たに千葉惣領家となりました。(´・ω・`)
酒々井町に残る国指定史跡・本佐倉城跡。
千葉市花見川区幕張町の大須賀山に寛永10年
(1633年)に建立された馬加康胤の首塚。
一族の東常縁(とうのつねより)により討たれました。
を武蔵国に逃れ・現在の板橋区赤塚に城を構え
武蔵千葉氏となり・馬加千葉氏に対抗いたしました。( ˘ω˘ )
板橋区赤塚公園の一角に残る・赤塚城址。
戦国時代までの千葉氏を歴史探索する・あまきオフィス
https://www.amaki-office.com