市川市曽谷に建つ日蓮宗の安国寺。
中世から戦国時代初期には近くに曽谷氏の城館
があり、周辺を統治しておりました。(^^♪
曽谷氏は千葉常胤の五男千葉胤道(国分五郎)
の系統を引き継ぎ、国分胤鎮が鎌倉時代の宝治元年(1247年)
地名をとって曽谷氏を名乗りました。(*'▽')
(下総国分寺に建立されている千葉胤道・国分五郎供養塔)
その後鎌倉時代に領主曽谷教信は、日蓮に帰依し安国寺を
建立いたしました。こちらに安置してある妙見尊は千葉市の
千葉寺に安置してある妙見尊と同じ木で作られたものと言われて
いるようです。( ˘ω˘ )
戦国時代になり、領主曽谷直繁は千葉氏に従って
いましたが一族に内紛が起こり、足利氏に攻められ
康正2年(1456年)曽谷氏は滅亡しました。( ˘ω˘ )
と空堀が10メートルほど残っているようです。(^^♪
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