松平定信の史跡を巡る東京探索、今回は海荘(はまやしき)
の跡です。(^^♪
江東区牡丹町、大横川に架かる東富橋の袂には海荘跡
があります。こちらは文化13年(1816年)に松平定信が
隠居後に購入した抱屋敷で、深川海荘(ふかがわはまやしき)
とも呼ばれていました。(*'▽')
松平定信は造園家としても有名だったようで、先日ご紹介
した築地の浴恩園や領地の白河の南湖公園などの庭園も
手掛けたそうです。(*‘∀‘)
こちらから北に向かった墨田区菊川には、江戸の治安維持
と人足寄場運営に尽力した長谷川平蔵の屋敷跡があります。
松平定信は寛政の改革による緊縮財政で十分な寄場運営費
を出さず、長谷川平蔵は幕府の公金を銭相場に使用したり
自分の土地を人に貸したりして、運営費を捻出していました。( ˘ω˘ )
【近くにある大阪王将、この後打ち合わせのため今回は我慢】
松平定信は長谷川平蔵の行いを快く思わず、町奉行昇進も
叶わなかったのでしょうね。いつの時代も上司から疎まれると
出世出来ませんね。(´-ω-`)
今でも不思議に思うのは、長谷川家が屋敷替えになった後
遠山金四郎がこの地に居を構えたことです。江戸時代に
庶民の喝采を浴びた2人、何かの縁があったことでしょう。('◇')ゞ
【東京駅八重洲口・北町奉行所跡】
時々庭園を眺めながら茶菓を楽しむ、あまきオフィス