会津天寧寺、近藤勇の墓所。( ˘ω˘ ) | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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会津若松駅前から市内循環バス、ハイカラさんに乗り

(あかべえもあります)奴郎ヶ前で下車し、天寧寺に建つ

近藤勇の墓所を訪れました。( ˘ω˘ )

こちらには、会津戦争の際家老職を務めた萱野権兵衛

やその息子である郡長正、会津藩士の墓所も建立され

ています。(´-ω-`)

近藤勇は、下総流山で新政府軍に包囲され出頭します。

その際、改名した大久保大和の名で尋問を受けますが

正体を見破られ、慶応4年(1868年)4月25日に処刑

されます。(´-ω-`)

(千葉県流山市にある、近藤勇陣屋跡)

近藤勇の首は、京都三条河原に晒されますが、その後

行方不明となり、長年謎とされてましたが、最近近藤勇

と懇意にしていた侠客が首級とともに愛刀を会津に持ち

帰ったと伝わっている説が有力なようです。(*‘∀‘)

(愛刀は、阿州吉川六郎源祐芳)

(板橋駅前にある、近藤勇の墓所と新選組の供養碑)

会津藩お預りとして、京都で活躍した新選組。近藤勇の

死後、副長の土方歳三が会津藩主・松平容保公の居城

の地に建墓された首塚と語り伝えられているそうです。

また、会津士魂の著者、早乙女貢さんの墓誌も建立

されています。戊辰戦争を探索しながら会津若松を

歩きました。('◇')ゞ

会津若松をこよなく愛す、あまきオフィス

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