千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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魅力満載、千葉の見どころをナビゲートします。

船橋市宮本に鎮座する船橋大神宮を久し振りに

参拝致しました。お正月に参拝に訪れましたが

長蛇の列で見合わせました。( ˘ω˘ )

歴史は古く景行天皇の40年(110年)日本武尊が

東国平定の際・舟の中から神鏡を発見し・お祀り

されたのが創建の始まりと伝わります。(^^♪

平安時代後期には源頼義・源義家親子が社殿を

修造し・源義朝も船橋大神宮の再建に携りました。

江戸時代には徳川家康の崇敬が篤く本殿・末社を

造営されました。

幕末の市川船橋戦争では旧幕府軍の拠点となり

本殿・拝殿・末社・灯明台など全てが全焼しました。(*´ω`)

 

明治6年(1873年)から明治21年(1888年)にかけ

修復が完了致しました。

 

江戸時代関東一宮両御社・関東一宮船橋両社として

船橋大神宮と並び称された常磐神社です。

船橋の伝統芸能ばか面祭りで知られる八釼神社(右側)です。

湊町船橋のシンボル灯明台と船玉神社です。

参拝後社務所を訪れ・御朱印を頂きました。

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木更津市矢那に建つ高蔵寺を参拝しました。

坂東三十三観音霊場第30番札所で高倉観音として

篤く崇敬されております。(^^♪

高蔵寺の歴史は古く・古代用明天皇の時代

(585年~587年)に徳義が小像の観音菩薩を

感得し・高蔵寺を建立したと伝えられています。( ˘ω˘ )

その後観音像は行基が彫った観音像に納められて

いると伝えられています。

観音の霊験はかつて矢納郷と呼ばれたこの地を

治めていた猪野長官に御利益を与えました。

40歳になっても子宝に恵まれない長官が願を掛け

一女を授けられたました。

その娘も20歳を過ぎても良縁がなく再び観音様に

願掛けしたところ結婚し・男子を授かりました。

この男子が藤原鎌足(中臣鎌足)と言う鎌足伝説が

あるようです。(*'▽')

 

境内には大化の改新(乙巳の変)後の650年7月に

藤原鎌足が腰を下ろして休息したと言われる腰掛石が

残されております。

高倉観音の霊木・阿裟婆です。胎内くぐり・福わ内や

土器の盃を大きな石にめがけて投げる・かわらけ投げと

死後の世界を擬似体験出来る観音浄土巡りをがあります。(*‘∀‘)

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隅田川に架かる千住大橋。

徳川家康の江戸入府後・文禄3年(1694年)

隅田川に初めて架けられた橋で当初は大橋と

呼ばれましたがその後下流に大橋(両国橋)や

新大橋が架橋され・千住大橋と呼ばれるように

なったようです。(^^♪

明治43年(1910年)頃の千住大橋です。

日光街道の千住宿は宿場町や物流の要衝として

賑わいを見せ・現在でも当時の面影を残して

おります。(*'▽')

JR常磐線・東京メトロ千代田線北千住駅から

歩いて程なくの場所に勝専寺があります。

山門が赤いことから通称赤門寺として親しまれて

おります。(*‘∀‘)

勝専寺は新井兵部政勝が開基となり・鎌倉時代の

文応元年(1260年)勝専社専阿上人を開山として創建

されたと伝えられております。( ˘ω˘ )

江戸時代には鷹狩のために訪れた徳川将軍や

日光例幣使や輪王寺門跡の休憩所や宿泊施設としても

利用されたとのことです。

勝専寺の開祖新井政勝の父・新井政次が隅田川から

引き上げたと伝えられている千手観音像が寺の寺宝と

なっており・こちらの千手観音像が千住の地名の由来と

言われているようです。(^^♪

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