眠れない夜に。


というのか...

家族が寝静まって私にある時間が今です。


私には夢がありました。


ありきたりかもしれないけれど、バレリーナになることや...

恋をして、その人に愛されて、結婚して幸せに暮らしましたとさ...みたいな。


幼いけれど、年齢が1桁だった時の夢は、自分を抱きしめてどこにもいかないよう

キラキラしたものがどこへも行かないように


くるくるとまわりながら学校から帰る


そんな夢でした。


それが不可能だと知ったのは13歳で自分が既に傷モノにされていると気づいた時です。


普通で良かった。普通が良かった。


幼い頃から、私の顔は大人びた目つきが目立ちました。全く可愛くはなかった。

実父からはおい、や、ブス、と呼ばれていました。時にはテメェ、お前、貴様。


でも私は自分がブスではない事を知っていました。母が美しく、生写しまではいかなくても似てはいたから...事実からそう判断をしました。


私は傷モノだから...もう、普通にはなれない。だから特別になるしかない...


傷モノである以上、誰も私を受け入れてはくれないと思ったのと、大好きだった祖父が映画が好きで「女優になれ」と言われて育ったから


女優になりました。


美人さん、そう呼んでくれた祖父の声が、今も聞こえる気がする。


性的虐待を受けた人を、傷モノと、絶対に思いません。そう思うのは、性被害への知識、加害者側に絶対的な問題があると認識した今だからです。


知識欲が私を支え、正しいかどうか今でも迷う時があっても、ある程度の目安にはなる。


女優になることでバレエダンサーになる夢も叶える事が出来ました。


才能だけではなく人間性を愛さずにいられない素晴らしい監督たち、ミュージシャン、クルーと出会い、表現をすることで自由を一瞬でも感じることができました。


彼らと笑い合ったこと。


それは永遠に私の中で輝き続けます。


それでも、心が死んでいくのは止まりませんでした。


"仕事で用がないなら呼び出さないでもらいたい"


傲慢に聞こえるでしょう。


付き合いが嫌いでした。


それは、きっかけは、こいつは天才なんだよ、と見せびらかされ、酔っていたとはいえ


指で「人魚みたいだな」

と左から右に向かって胸の谷間を強く抉られ、私が狼狽し、ものすごい顔(自分でも分かるくらい筋肉が引き攣った)をして席を立ち、荷物を引ったくるように席を立ち


マネージャーの静止を振り切り席を立った時から始まった。

動悸と震えを止めるために、トイレのドアをあければ、会員制で事務所が経営しているから、と油断したバカがコカインを吸っていたから、思い切りドアを閉めて走り出した。


私に対する冷遇はそこから始まり、専属のマネージャーは外され、1人はクビになったと突然に聞きました。


早く契約を切られるよう私も悪態をつきまくった。事務所との打ち合わせは絶対に遅刻し、にこりともせず舌打ちを連発。タメ口を聞き、髪を勝手に切り、Fワードを連発し中指の活躍も著しかった。


何もかも耐えがたかった。

上に行けば行くほど、人目が怖く、それでも期待とプレッシャー、私が持ち合わせた完璧主義と根性だけが発揮され


常にひとりぼっちでした。


誰も信用できない、傷モノとバレたくない、人より秀でていたい、バカ、役立たず、出来損ない、父の言葉に負けたくない一心で


今、私は人生で1番、素直で居られます。

素直、という言葉には従順という意味が含まれる


大嫌いな言葉でした。


ありのままで居られる、が正しいのか。


私のめちゃくちゃだった日々は、今。


全く変わりました。


私はひとりぼっちなんかじゃなかったし、暖かく優しい人の心に触れられる、触れてもらえる。例え顔さえ知らなくても。言葉のチカラを信じられる。


ごめんなさい、もたくさんあります。


でも、ありがとう、ありがとう、ありがとう、

生きていて良かった。


例え、一生会うことがなくても、皆さんが世界に投げかけて下さった美しさを


私は受け止めて抱きしめられるようになりました


もう恐れて、必死に走って逃げなくていい。


また、くるくる回って、私はここにいます。


ありがとうございます。