最近、"思わず"、蛍光ペンを手に取って、
私の心に刺さったところ、心が動いたところに線を引きまくって、
「今の私」のバイブルにしている本がある。
それは、
「コムドット」は、5人組YouTuber。
コムドットのことは、YouTube登録者数50万人くらいのときに知って、
そこから大好き❤️
私は、コムドットのファンである💓
ファンになったキッカケ、
それは、「イケメンー😍」と一瞬でトキメいた💘
正直、「顔」だった🤭
コムドットはね、"顔面偏差値"が高い集団。
ジャニーズでいうと、キンプリみたいな😍
(私はジャニーズの中で、キンプリが1番好き🤤)
最初は顔から入ったけど、YouTubeを見て、
みんなやチームを知れば知るほど、
個人も、「コムドット」も、どんどん好きになっていった💓
みんな個性的で、それぞれがキャラが立っていて、一人一人が輝いている♡
そして、「地元ノリを全国へ」というスローガンを抱えて、
ものすごいスピードで、夢を叶えながら、進化を続けている🕊✨
全員大好きなんだけど、
私の推しは、リーダーのやまと♡
ビジュアルも内面も、やまとの全部が好き。
「アイドル2.0」は、やまとの2冊目の著書。
「アイドル2.0」の中に書かれている、
という言葉。
この言葉を見た瞬間、
キャー!!!まさにその通り!!!!!😍
と、鳥肌が立ち、心が震えて、めちゃくちゃ興奮した!!
大好きなやまとが、自分と同じ考えなのも嬉しかったし、
これまで言語化していなかった私の想いを、ほぼほぼ代弁してくれていたから。
「アイドル2.0」 P.178 〜「個性の発掘」というトピック内〜
よく「置かれた場所で咲け」という言葉を耳にするが、
多くの人がこの言葉の意図を理解していないと感じる。
私独自の捉え方かもしれないが、
この言葉は、「できることを全てやった人に対して送られるべき言葉」であり、
何もやらずに辿り着いた場所で花は咲かないと思うのだ。
だからこそ私は、「咲く場所は自分で選べ」と伝えたい。
自分が持っている「種」は自分が理解し、適切な場所に蒔き、責任を持って咲かせてあげる必要がある。
種自体の理解を間違えたり、蒔く場所を間違えたりすれば、その種本来の強みはないも同然になってしまうのだ。
果報を寝て待てるほど私たちに時間はない。
今すぐに「自分」という種と向き合い、種を蒔く場所を見極めることが私たちにとっての使命であり、平等に与えられた権利なのである。
もー、最高っ!!😍❤️
そして、なぜ私がこの文章に激しく共感して、
心が震え、興奮したかというと、理由は2つ。
1つ目は、私が大事にしている概念とリンクしたから。
私自身、「女性=お花」(もちろん、私もお花❤️)と想っていて、
「自分らしく咲く」とか、「自分という大輪の花を咲かせる」とか、「個性の開花」とか…
とにかく、「花」は、私にとって、
私が"ワタシ"を表現するためにもかけがえのない概念であり、
"こだわり"のある、大切なもの。
だから私はいつも、大好きな「お花」を基に考えたり、イメージをしている。
それくらい大切な概念であり、言葉を、
大好きなやまとも、自分を「種」と表現していたり、
花に例えて、個性が「咲く」という表現をしていること、
「私と同じじゃん!!😍」と、共感し、心が震えた。
そして、理由の2つ目であり、
これほどまでに心が震えた最大の理由は、
私は、この「咲く場所は、自分で選べ」という言葉に関する、
自分自身の、大切にしている人生のストーリーも持っているから。
遡ること、私が病院で働く看護師時代のお話。
職場に男性のパワハラ上司が2人いた。
正直、見るのも同じ空間にいるのも嫌なくらい、大嫌いだった。
当時の私は、今よりめっちゃ弱くて、
自分の考えを伝えることができなかった。
言いたいことが言えず、
本当は、笑ったり、同調したくもないところで、
無理して相手に合わせて、笑ったり、同調をしていた。
「患者さんにこういうケアがしたい。そうすれば喜んでくれるはず。」と、本当は自分の中でやりたいことがあるのに、
上司が「この方が良い」と言えば、
「そうだよね。私の意見よりも上司の意見の方が正しいよね」と、
自分の意見を引っ込めて、自分が考えて、やりたかったケアは実現されなかったりもした。
そんな自分が嫌で、
「自分の意見を伝える」とか、
「職場の上司や同僚との付き合い方」みたいな類の
コミュニケーション術の本を何冊も買って、
自分が変われるキッカケや、解決の糸口を見出そうとしていた。
なぜなら、私がその職場で働きづらかった原因が、
自分のコミュニケーションにあると感じていたから。
人生の時間の大半を費やす「仕事の時間」だからこそ、
どうしたらその職場で、自分が居やすく、働きやすく、生きづらくなく居られるか、を、ずっと探し求めていた。
毎日、家に帰ると、仕事のことを考えて、ショボーン、ズーン、モヤモヤ・・・。
仕事のことが頭から離れない。
"あー、あのとき、こうすれば良かった、こう言えば良かった。"と、
終わったことを振り返り後悔し、悔しさや惨めな思いがぶり返す。
なんで私はこんなにダメダメなんだろう、と自分を責める。
パワハラ上司の言葉が気になり、他の先輩から褒められたこと、
患者さんと過ごした楽しい時間、幸せな時間すら、どこかに行ってしまった。
勤務のシフトが出るや否や、
まずやることは、パワハラ上司と一緒の勤務の日をチェックすること。
夜勤が被っていなければ、やった!!!と喜び、
被っていたら、その瞬間から、撃沈。_(__)_
そして、同じ勤務の日が近づくにつれて憂鬱になり、
その前日や当日の朝は、"仕事休もうかな"と本気で考えて、
「(心の)具合が悪いので、明日、休みます」と連絡をするために携帯を握りしめてしまうほど、憂鬱だった。
そのパワハラ上司との勤務後、家に帰ってから悔しくて泣く日もたくさんあった。
そんな私を、当時付き合っていた彼が支えてくれていた。
その彼のご両親も、私のことを心配してくれた。
そして、彼のご両親が、「置かれた場所で咲きなさい」という本をプレゼントしてくれた。
その、私を想ってくれる気持ち、
そして、想うだけじゃなくて、想いをカタチにして、
本をプレゼントしてくれた、という、すべてが嬉しかった。
その気持ちや行為が、私の緊張状態をほぐしてくれたり、
私をちゃんと見てくれている人もいるんだ、
心から「ありがとう」、って想ったし、心から感謝が溢れた。
だから、今もプレゼントしてもらった本を、大切に持っている。
あの時の嬉しさ、喜び、感謝は、一生忘れない💎✨(u_u*)
でも、実際のところ、そのタイトルの言葉や内容は、受け入れられなかった。
最初は、「そうだよね、置かれた場所で咲くべきだよね。ここで頑張るべきだよね」と、思っていたし、きっと、そう思い込もうとしていた。
でも、心では違和感を感じていた。
「ここって、本当に、私が咲く場所なの?」
というか、「『置かれた』場所」って、受動的じゃない?
私は、受動的な、受け身の人生を生きたいの?
そもそも、この場所だって、私が選んだ。
私は自分で選びたい。
だからこれまでも、自分で選んできた。
だったら、また自分で選ぶことができる。
と、何回も何回も自分に聴いた。
毎日、毎瞬だから、1万回以上、、、それ以上?自分に聴いたかもしれない。
今になって思う。
そのときの大嫌いな「パワハラ上司」は、
私が主人公の人生の、
「ただのエキストラ」で、
私に気付きを与えてくれていた。
「看護師であること、看護師として働くこと」が当たり前だった私に、
"辛い"、"苦しい"という想いや経験から、
そもそも、その前提と思っていることを、疑うキッカケを与えてくれた。
私は、「パワハラ上司」がその場所にいる、いないに関わらず、
「"看護師の千葉明美"として、開花したいのか?」
というところを、自問自答するようになった。
パワハラ上司が嫌なのであれば、職場を変えて、「環境」を変えることだってできる。
でも、職場や、病院という「環境」を変えたとしても、
「看護師の千葉明美として開花したいのか?」
の私の答えはNOだった。
私は、元々、好奇心旺盛で、
興味があること、好きなこと、突き詰めたいことは、
徹底的に、夢中になってやりたい、
そんな、向上心がある人間なのだけど、(←自分で言っちゃうよ♡)
看護師として、キャリアアップをして、花を咲かせていく、という選択肢はなかった。
看護師には、
認定看護師、特定看護師、
主任、師長、看護部長など、
キャリアアップの道もある。
でも、どれも、単純に純粋に、心が全く震えない。
つまり、「私の興味」が無かった。
かといって、イチ看護師として、花開きたいのか?、の私の答えもNo。
「私は、『病院』『看護師』という枠の中で、
病院の『組織』の中に、イチ看護師として、
「看護師さん」としか呼ばれず、「千葉明美」という名前・認識がされない、
さらには、"私の代わり"がたくさんいて、
組織の中の1つのコマに過ぎない、という、そんな存在ではない。
私は、大多数の中に埋もれて、
人生の大半を終えるような人間ではない。
私は、ポテンシャルがあって、可能性も無限大、
もっともっと、個性を開花して、自分らしく輝いて、
大きく羽ばたける人間だ。」
と、自分に対する、根拠のない自信を持っていた。
世間では「高給・安定」と言われる看護師を手放そうと思っているとき、ある人が言った。
「このまま働き続ければ、退職金だって、たくさんもらえるのに。
もったいない。」
私は、「もったいない」という言葉を、
私の選択に対して言われることが好きではない。
「もったいないかどうか」を、あなたに言われる筋合いはない、決められたくはない、
もったいないかどうかを決めるのは私だから、と思ってしまうから。
(しかも、看護師を辞めたことに対して「もったいない」と言うのは、たいてい、看護師ではない。
看護師という仕事の大変さ、責任の重さを、実体験したことがない人である。)
「退職金目当てに、私のたった一度しかない人生の、貴重な『時間』を、
何十年と費やすのは嫌だ。
それこそ、『時間』がもったいない。
お金はなんとでもなるけれど、
『時間』は一度失ったらもう戻らない、かけがえのない、貴重なもの。
しかも、高給・安定と言われる看護師も、
結局はサラリーマンで、社会や会社にも左右される。
雇われていて、「お給料」としての収入は、天井が見えてしまう。
だったら、
起業して、退職金としてもらえる『お金』さえも、自分の手で稼いだらいい。
それこそ、貴重な時間を有意義に使えて、かつ、人や社会への貢献性の高いことができる。」
と思った。
だから、私は、「起業」という選択をした。
ビジネスを通して私の個性を開花することこそ、
私という花を咲かせる場所」
と、自分の選択と決断を、正解にしていく道を選んだ。
そして、あの時の自分が決めた通り、
私は、「起業」をして、
自分が生み出した自分のビジネスで、
「看護師としてあと30年という『時間』、働いたらもらえる退職金」以上の金額を、
自分の手で稼ぐことができている。
会社に雇われ、会社から与えられた仕事をこなすことで得られる「お給料」ではなく、
自分の手でお金を生み出すことができた。
しかも、「人の幸せを創る」仕事で。
この経験は、私自身の自信にもなっている。
だって、会社や社会に「依存」することがないから。
「雇用」されている以上、
雇用主、会社の規則やルール、経済状況や社会情勢といった、
「縛り」がある。
どんなに自分が「私は大丈夫」と思っていたり、
雇い主や会社を信用していても、
「今日でクビね、明日からもう来なくていいよ」
と言われたら、そこで、
「雇用」関係が終わり、「お給料」は入って来なくなる。
でも、自分の手でお金を稼ぐことができれば、
雇い主である会社がどうなろうが、そこに振り回されることがない。
私自身が、「置かれた場所で咲く」という言葉に違和感を感じて、
「咲く場所は自分で選ぶ」ということをしてきたからこそ、
やまとの言葉に、「そうそう!そうだよね!!」と心が震えて、心底大共感だったし、
「私もやまとのようになれる」、とも思った。
なぜなら、頭で考えるだけではなくて、
これまで「行動」をして、
咲く場所を自分で選んできた結果、
私自身も、自分の夢や、理想の在り方を実現し、
「私にしかできないこと」を、仕事にしたい。
「私にしかできないこと」で、人を幸せにする、そして、私も幸せになる。
という私の望みを、私の手で叶えてきているから。
社長や個人事業主であれば、自分がTOPだから、自分で選べる。
つまり、選択の「自由」がある。
ただし、責任が伴う。
メリットもあれば、デメリットもある。
それは、起業して社長になろうが、雇用される立場であろうが、同じ。
「私はどうしたい?」
常に自分に対して、聴いていること。
もちろん、看護師を辞めるときも、自分に聴いてあげた。
私は「自由」が欲しい。
自由を選ぶことで、責任が伴うことを考えても、
「会社」「組織」という限られた狭い場所ではなく、
私が私らしく、一輪の大きな花として
誇り高く咲く場所を、自分で選びたい。
そう想ったから、「起業」という選択をし、ここまで歩んできた。
あのときの自分の選択と決断を、後悔はしていないし、
むしろ、あのとき、勇気を出して、選択と決断をしてくれた自分へ、
「ありがとう」と、心から言いたい。
なんだか、文章を書いているうちに、
言い方がやまとっぽくなってしまったけれど、、、w
(大好きで影響を受けているからしょうがないよね♡)
私のストーリーや文章から、
何かインスピレーションを受け取ってもらえたり、
元気や勇気になったり、
お役に立てたら幸いです♡
今日はここで終わり♡
またね〜♡