【古代鴨氏物語】神武東征と天稚彦物語 | 東風友春ブログ

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金色霊鵄と呼ばれた怪光現象は、磯城の軍勢を驚愕させ、皇軍にとって不利な戦況を一変させてしまった。

なぜなら、金鵄の出現は「天神之子」を称する神武天皇の神性を証明する結果となり、敵兵はすっかり戦意を失ってしまったからだ。

 

 

そして、おそらくその時に投降したのが磯城県主の祖「弟磯城黒速」だろう。

 

先遣使者徵兄磯城、兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰、天神子召汝。怡奘過、怡奘過。兄磯城忿之曰、聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。乃彎弓射之、烏卽避去、次到弟磯城宅而鳴之曰、天神子召汝。怡奘過、怡奘過。時弟磯城惵然改容曰、臣聞天壓神至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。卽作葉盤八枚、盛食饗之。

 

日本紀によると、神武天皇は八咫烏を使者として磯城兄弟の調略を試み、兄磯城が八咫烏を弓矢で追い払ったのに対し、弟磯城は八咫烏の誘いに応じて皇軍に帰順する話になっている。

ちなみに古事記では「兄宇迦斯・弟宇迦斯」の話になっており、弟磯城が降参したとも兄磯城が戦死したとも一切記していない。

 

 

ところで日本紀では、神武天皇が八咫烏を使者に立てたのを「十有一月癸亥朔己巳(十一月七日)とし、金鵄出現は「十有二月癸巳朔丙申(十二月四日)の記事にあるので時期が合わない。

しかし、八咫烏の誘いに応じて帰順した弟磯城の物語は、おそらく弟磯城が金鵄の出現によって投降したことの比喩表現だと考える。 

さらに言えば、兄磯城が八咫烏を追い払った話は、天稚彦「無名雉(名無し雉。古事記では鳴女という雉)」を射殺す話ともよく似ている。

 

是時、高皇産靈尊、怪其久不來報、乃遣無名雉伺之。其雉飛降、止於天稚彥門前所植、湯津杜木之杪。時天探女、見而謂天稚彥曰、奇鳥來居杜杪。天稚彥、乃取高皇産靈尊所賜天鹿兒弓天羽羽矢、射雉斃之。其矢、洞達雉胸而至高皇産靈尊之座前也、時高皇産靈尊見其矢曰、是矢、則昔我賜天稚彥之矢也。血染其矢、蓋與國神相戰而然歟。於是、取矢還投下之、其矢落下、則中天稚彥之胸上。

 

日本紀では、高皇産霊尊が天稚彦に対して無名雉を使いに遣るが、八咫烏がもともと高皇産霊尊により遣わされたことや、弓矢でそれを追い払った者が結果的に死ぬ事を考えると、無名雉と八咫烏の話には共通点が浮かぶ。

そして、怪しい鳥がいると聞いた天稚彦は「天羽羽矢」で無名雉を射殺すが、雉を射抜いた矢はそのまま天上に到り、それを見つけた高皇産霊尊が投げ返すと、その矢が胸に突き刺さって天稚彦は落命する。

 

 

この物語の結末に「此、世人の所謂る反矢を畏むべしといふ縁なり」と記すように、矢を返すという行為は不吉な事とされた。

この「反矢(かえしや)」によって落命した天稚彦は、亡骸を天に引き上げられ、物語は天稚彦の「(もがり)」の場面に移る。

 

天稚彥之妻下照姬、哭泣悲哀、聲達于天。是時、天國玉、聞其哭聲、則知夫天稚彥已死、乃遣疾風、舉尸致天。便造喪屋而殯之。卽以川鴈、爲持傾頭者及持帚者、一云、以鶏爲持傾頭者、以川鴈爲持帚者。又以雀爲舂女。一云、乃以川鴈爲持傾頭者、亦爲持帚者、以鴗爲尸者、以雀爲春者、以鷦鷯爲哭者、以鵄爲造綿者、以烏爲宍人者。凡以衆鳥任事。而八日八夜、啼哭悲歌。

 

この場面は葬送儀礼の次第を伝え残そうとする意図を感じるが、何よりも様々な鳥が葬礼の執行者を演じているのは、「」を正体とする三輪大神を祀る以前から、この国に「」を神霊の象徴、特に日本武尊の白鳥に代表されるように、死者の魂を運ぶとする信仰が存在したことを窺わせる。

 

 

また、天稚彦の殯は「八日八夜、啼び哭き悲び歌ぶ」としているが、これは旧事紀に記される饒速日命の葬祭が「日七夜七以て遊楽き哀泣して」とあるのによく似ている。

 

高皇産靈尊、以爲哀泣、卽使速飄命、以命將上於天上處其神屍骸、日七夜七以爲遊樂哀泣、坐於天上斂竟矣。饒速日尊以夢教於妻御炊屋姫、云汝子、如吾形見物卽天璽瑞寶矣、亦天羽弓矢羽々矢復神衣帶手貫三物、葬斂於登美白庭邑、以此爲墓者也。

 

旧事紀では高皇産霊尊饒速日命の亡骸を引き上げるのに「速飄命(はやちかぜのみこと)に命じたとあるが、高皇産霊尊が八咫烏無名雉を使いにしたことを鑑みると、速飄命も金鵄出現の喩えかもしれない。

そして、おそらく「登美白庭邑」を墓所にしたとあるのも、饒速日命が「則ち大倭國の鳥見白庭山に遷り坐します」とあるのも、鳥見山に金鵄が出現したのを饒速日命の神霊が天降って鎮座したと解釈したせいだろう。

 

 

この登美白庭邑に収めた饒速日命の形見を「羽々矢」とするが、天稚彦の反矢も「天羽羽矢」であり、この矢は神武東征での金鵄出現後に、天皇と長髄彦が互いに「天神之子」の証拠を見せ合う場面にも登場している。

 

長髄彥、卽取饒速日命之天羽々矢一隻及步靫、以奉示天皇。天皇覽之曰、事不虛也。還以所御天羽々矢一隻及步靫、賜示於長髄彥。

 

ちなみに長髄彦は、神武天皇から天神の証(天皇の矢も天羽々矢)を見せられても徹底抗戦の意志を曲げず、停戦派の饒速日命によって粛清されてしまう。

もしかすると、天稚彦反矢の物語は、神武天皇に見せた饒速日命の天羽々矢が天皇から返ってきた後に、長髄彦が殺されてしまう話が基になっているのではないか。

さらに想像を逞しくすれば、皇軍より長髄彦軍の方が弓矢の威力が優れていて、皇軍が敵の放った矢を用いたところ、長髄彦に見事命中したのが真相かもしれない。

そうでなければ、矢を返すのが不吉と言っても、そのような出来事は戦争状態でもなければ普通考えられない。

 

 

さて、このように天稚彦は、神武東征に登場する兄磯城兄宇迦斯長髄彦饒速日命との共通点が少なくないが、だからと言って彼らを同一人物だとか異名同神だと説明するつもりはない。

思うにこれらは、神武東征を長髄彦側の視点で伝えるため、皇軍にとって敵方の人物をまとめて「天稚彦」という神に仮託して創作された物語ではなかろうか。

そして、八咫烏に応じて弟磯城が投降したのも、天稚彦の殯に数々の鳥が登場するのも、鳥見山に発生した正体不明の怪光を「金色霊鵄」と表現するのと同一線上の思想であり、つまり、それは古代の「」の信仰から来ているものだろう。

結局のところ、神話は歴史の寓話化したものと言っても、人が人智を超えた現象に遭遇したなら、そこに居合わせた者が光る鳥やら神霊だとか好き勝手に解釈し、それが様々な伝説を生む要因になったと考えるしかない。