アメリカンウォーターフロントケープコッド ①由来 | ディズニー日記

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この地はなぜケープコッド (タラの岬)と呼ばれるようになったのでしょうか?

その答えは、レストラン「ケープコッド・クックオフ」の店内にありました。

入り口を入った左側の壁に掛かった額。そこにはケープコッド命名の経緯が記されています。

「1680年。二隻のイギリス船がわずかの差でこの地に到着した。先に上陸した船長エリアス・ウィンスロップはこの地をウィンスロップと名づけ、あとから上陸した船長ヨシュア・ベッドフォードはベッドフォード・グローブと呼ぶと宜言した。両者ゆずらず、別の名前をつけることになった。多くの候補が挙げられたが、いずれも却下されて決まらない。人々もそろそろ疲れ果ててきたとき、その様子を群のなかで見ていたひとりの女性が、水中を泳ぐコッドフィッシュ(タラ)に気づき、こう叫んだ。『船長さんたち。みんなお腹がペコペコよ。ここをケープコッドと呼ぶことにしましょうよ。いいでしよう!?』みんなが賛成し、この地はケープコッドと呼ばれるようになった」

史実に名も残さないひとりの女性によって、この村の名前は決定したのです。

レストランの外の壁にも「1680年。愛国者の誇りとともに、ケープコッドの村を設立した」と、星条旗を掲げたポールの根元には「独立戦争時、その役割をみごとに果たしたケープコッドの勇敢な女性たちに捧ぐ。星条旗よ、永遠なれ!」と書かれています。

また、灯台の外壁のプレートには、「この海域を航行するすべての船に差し伸べる手として、輝く灯台よ永遠に。1909年7月4日。ケープコッドの"自由の娘たち”より」とあります。