東大入学式での祝辞が話題になっているとネットニュースで見て、

早速全文を読んだ。

 

賛否はもちろん生じやすいだろう。

ジェンダー論と聞くだけで警戒する人も、

私は女性だけども、ジェンダー=ウーマンリブ=怖い…のようなイメージ先行で、

正直まだジェンダー論と正面から対峙したことはない。

 

なので、その点に関しての論評や評価は脇に置きたい。

脇に置くけれども、知識とは何か、学問とは何か、ひいては人間とは何かを考える上で、

とても感動的で改めて「知」の持つ価値を考えさせられた祝辞だった。

 

なによりも、

 

努力することができる人は、恵まれた人。

努力することが叶う人もまた恵まれた人。

 

 

世の中にはがんばっても報われない人、頑張ろうにも頑張れない人、頑張りすぎて心と体を壊した人たちがいる…

 

との一文に私はハッとさせられた。

 

今の世の中、余裕を失い、一人一人が自分が生き延びるために、

蹴落とす…まではいかないにしても、かえりみる余裕はない。

誰かの倒れるのを尻目に、ああ、私はああならなくてよかった…とため息つくかもしれない。

 

でもその知力も体力を尽くすことも含め、できる・できないの世界がある。

子供の頃、なんでもできると言われながら、大人になればどうしようもない壁を知る。

 

自分は自分のためだけに生き、学ぶのではなく、

自分は優れた力を持つのだから、人の役に立つ責任がある、という自覚。

その自覚は社会を、心を豊かにする。

 

そのことをいつしか忘れていた自分に気づかされた。

私はロスジェネと呼ばれる世代だ。社会を恨む心が強い方だという自覚はある。

大学を出ても就職先はなく、

自分は岩にかじりつき、這い上がってきた…と思っている。

 

なにも東大ばかりではない。

それぞれが持つ優しさや強み、強さはあるはず。

挫けた人を挫けた部分だけで助け、その人がいつか自分も気持ちを返したいと思える社会になれば、損得勘定に縛られることなく、優しい世界はあるはずだと

 

少なくとも自分の心の中に優しい社会を作ることはできるはずだと、

こんな歳になって気付かされた。