脳腫瘍がやってきた♪ヤアヤアヤア -32ページ目

脳腫瘍がやってきた♪ヤアヤアヤア

突然発見された脳腫瘍。わたしは、いかに病とたたかっていくのか。この苦難のあと、わたしは、どんな人になれるのか、自分観察日記です。

鼻から髄液らしきものを放出した、中1のころから何年間か、ひどい頭痛に悩まされていた。始まると寝ているしかない、頭を起こせない頭痛。月に1度
それから、18才の高校卒業式を終えて引っ越しして、大学の入学式を待っていた期間にものすごいぐるぐるめまいと嘔吐に襲われた思い出。耳鼻科でメニエール病と言われて、めまいに怯えて暮らしていたら、入学式の途中で始まってしまい、大学から、駅まで歩く道路が右下がりに斜めになっていた光景。忘れられない。歩けなくなって、しばらく喫茶店で休んでから帰った。

なぜかそれからはしばらく元気に過ごしてきた。父ちゃんと出会って、学科の友人、サークルのみんなと楽しく楽しく大学生活を送ってきた。
髄液放出と頭痛とめまいと先日まで何も関連のない1つ1つのバラバラな思い出だった。

ついでに思い出したのが、出産後の不調。二人めまでは、いわゆる不定愁訴みたいな症状が養命酒2本で回復したんだけど、三人めのあとは、養命酒では回復できずいつまでも具合の悪さを引きずっていた。だから、小さいころの次男とたくさん遊ぶ事ができず、三歳の娘が面倒を見てくれていた。娘への感謝とともに、次男に対して心残り。
あの出産は、引き金になったのかな、それからの15、6年は、好調と不調の波があって、次第に、本当に少しずつだけど不調の波が長くなるようになってきたように思う。今にして思えば、の話ですが。

その後、長男が中学生になり、外に出て働きたい!と考え、せっかく親に畜産の大学を出してもらったので、それを生かした仕事をしたいな、と入社したのが、隣町の大きな養鶏場。
ヒヨコを育てる担当になった。

私と相棒の洋子ちゃんの仕事次第で産卵率が上下する。工夫して、手をかけるほどに、いい鶏に仕上がる手応えがあって、すっごくやりがいのある面白い仕事だったが、いかんせん、3Kの肉体労働。無理しすぎてからだを壊した。やめる前は、体に鉛がいつも乗っているようで起きられないし、常に腰痛に苦しんで体はごきごき
した状態。
ヒヨコ達に後ろ髪を引かれながらも体が限界で辞め、いまの学童にかわった。

それから5年。やっぱり少しずつ、不調の波の方が長くなって、朝起きる時にメチャクチャ体が重い、腰が痛い、首が痛くて動かせない、めまい、不整脈、息が苦しい、etc.な不定愁訴のオンパレード。息が苦しいのなんか、いくら吸っても酸素が足りない金魚みたいな感じで、近所の内科で喘息と言われてステロイド吸入してたんだよ!しかし、さっぱりよくなる感じもなくて面倒臭くなってやめたし。喘息だからって、学童の山登り、私は車出し担当にしててもらったのに。実際、小学生に置いていかれるほど、息が苦しくて、登れなかったんだけど。

そういうすべてが辻褄が合います。今度こそ。
患者さんの体験記ともピッタリ。たまたま、激しく寝たきりになってないだけだ。髄液漏れだよ。わたし。じゃあ、これも気づかず苦しんでいる人がいっぱいいるのでは?



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