今日から(といっても毎日更新は無理ですが)何回かに分けて、私が初めて神経線維腫の切除手術を受けたときのことを記録していこうと思います。

もう30年以上前の話なので、記憶があやふやな面もありますし、辻褄が合わない部分があったり、おかしなところがあったりしたら、「こいつの記憶、ポンコツだ」と笑い飛ばしてください。

 

異変というか「なんかおかしいな」と思うようになったのは、中学3年生になる頃のことでした。

胸と腰の中間の背中に巨大で固い神経線維腫が出現したのです。

当時も今も、「なんか変だ」と言うだけで駆け込めるような病院で診て貰っているわけではなかったので、様子見をするしかありませんでした。

とはいえ、私もそうですが、親も気になるとのことで、春休みの内に一度受診だけはしました。

親が予約を取ったのか、それともほぼ朝一で病院に向かったのか、その辺はよく分かりません。

皮膚科の先生に見せると、「うわぁ」という声が上がりました。

たぶん、30年以上が経過した今でも、同じものを見せられたら、多くの医師(皮膚科医に限らず)が同じ反応をするのではないかと思います。

先生は、その巨大な神経線維腫を鷲づかみにして(私には見えていませんので想像です)、上に下に右に左にとグリグリ回します。

飛び上がるような痛さはなかったものの、やはり気持ちの良いものではないので、「早く手を離して」と思っていたのを覚えています。

 

「これは手術で取った方がいいね」

 

あっさり先生は言います。母も同意しています。当の本人である私だけが置き去りです。14歳の私を置き去りで話が進みます。

まぁ、未成年、それもまだ中学生ですから仕方ないことです。

問題は、手術の時期。

とにかく、神経線維腫が大きすぎるということで、万全の体制を取る必要があるとのこと。

入院・手術室確保・輸血準備。

新学期が始まれば受験生の私に、そんな時間が捻出出来るのか?

私が通っていた中学校では既に体育祭は5月に行われていました。

2年生の3学期の終わり頃から、体育祭で披露することになっているダンスの練習も始まっていました。

そういう話を母と先生がしています。

 

「じゃあ、夏休みになったらまた診せて。一応、手術は受験が終わってからということにしましょう」

 

さらに巨大化となれば有無を言わさず手術だったのでしょうが、幸いなことにそれ以上巨大化することはなく、手術は高校受験が終わってからということに決定しました。