熊本地震から8年が経過しました。

gooブログにて、当時書いていた記事を転載します。

 

太字になっている部分はタイトルです。

 

無事です。

2016年04月14日(たしか23時頃投稿)

 
めちゃくちゃ怖かったです。
何度も余震があって今も怖いです。

棚が悲惨なことになりましたが、母共に無事です。
 
 
とりあえずのご報告

2016年04月15日


昨夜、携帯から一報を入れましたが、この地震で私や母、愛犬は無事です。
母方の伯母一家、叔母の無事も確認済みです。
父方がまだ連絡が取れていません。
たぶん、叔父が連絡をつけてくれていると思います。

熊本市南区は震度6弱。
揺れが長かったのですごく怖かったです。
携帯、テレビ双方の緊急地震速報は全く間に合いませんでした。

近所の方の家では食器が全滅したとも聞きます。
我が家は対策が奏功し、食器はすべて無事でした。
飾っていたガラス瓶が割れてしまいましたが、その程度です。

余震もすごかったので昨夜は車の中で過ごしました。
ひっきりなしに通る救急車に胸が痛みます。
そんな中で、夜中の2時ぐらいまで飛び続けた報道ヘリ。
あれさえなければもう少し眠れただろうにと、ちょっと恨んでしまったりも…。

お気づかいくださった皆様、ありがとうございました。

疑問…、深夜2時過ぎに飛んでいた飛行機、一体なんだったのだろう?
 
 
まだまだ…

2016年04月17日

 

昨日未明の地震後、数分ずつくらい家に入っているけど、基本的に車中泊です。

この震災を通じて、沢山の方々の好意に触れました。

まだ、気を抜くと涙が出そうになりますが、前を向いて生きていきます。

とりあえず、携帯からご報告まで。

いとこの子どもたちと一緒に、「ジュウオウジャー」見ました。
今回の彼らを見習わなきゃ、と気持ちを奮い立たせてくれる、素晴らしいエピソードでした。
 
 
地震は怖い

2016年04月21日

 
4月14日、午後9時半前。
いきなり強い揺れに襲われた。
元々ソファーに座っていたのだけど、全く身動きが取れない。
何が起きているのかさえ分かっていなかった。
「ニュースウオッチ9」の中で緊急地震速報が鳴り響いていたようだが、揺れの音でさっぱり聞こえない。
携帯の緊急地震速報も鳴り響いていたようだが、こちらもさっぱり聞こえない。
かろうじて、鈴木菜穂子アナウンサーの「強い揺れに警戒して」という声だけは聞き取れた。
その後、益城町で震度7、熊本市南区で震度6弱と判明。
この時は「怖かったね~」で終わり、余震も続いていたこともあり、車の中に避難して一夜を過ごした。

そして感覚的には翌日。厳密には日付が替わっていたので翌々日だが…。
布団で眠っていたら突然の激しい揺れ。
前日(実際には前々日)の比ではないくらいの揺れ。
時間も長い。やっとのことで起き上がり、犬も一緒に連れ出して外へ。
再度車の中で夜明かしすることを選択した。
この日ばかりは、向かいのアパートに入居している方々もみんな車の中で夜明かししていた。
時々…ではなく頻発する余震に怯えながらも、前日に眠れていないこともあり、多少は眠った。

今回の震災、何が辛いって、断水とかライフラインの途絶もそうだけど、一旦片付けた労力がすべて無駄になってしまったこと。
まさか最初の地震より大きなものが来るなんて夢にも思っていなかった。
震度5程度の余震は覚悟していたけど、まさかの連続震度6弱。
もうね、気持ちが萎えるよ。
片付けたってまた同規模の地震が来たらどうしようって考えてしまう。
4月21日現在で、まだ自分の部屋は手付かずの状態。
今のところ余震は収まっているようなので、このまま収束することを祈るばかり。

日曜日から、空き室になっていた向かいのアパートの一室に3世帯同居で生活している。
今、これは一旦家に帰って書いているが…。
ストレスマックスな犬も今は制約から放たれてのんびりと眠っている。
もう少しそっとしておいてやろうっと。
 
 
まだ文字数に余裕がありそうなので、当時の写真を載せます。
 
 
液状化の影響で1メートル近く沈んだ電柱です。我が家からだと約1キロほどしか離れていません。
 
 
 
 
私の部屋です。この程度で済んで良かったのですが、この後大量の本を泣く泣く処分しました。
 
 
物置としてしか使われていなかった弟の部屋。
家具が移動しています。
 
 
アップライトピアノが1mほど動きました。自然の力って怖いですね。
テレビが横倒しになっていますが、これは敢えてです。
実際には奥の壁に寄りかかっていました。逆方向だったら壊れていただろうから、運が良かったです。