後悔の四月。
桜が咲いて、散って。
そして、藤が咲く。
後悔の連続で出来てる4月。
藤をみに、今年もたくさんの人がくる。
たくさんの人が笑顔になって、甘い匂いを嗅いで。
わたしは今年もたくさん後悔する。
先生に会いに、今年もたくさんの人がくる。
昼間はものすごく活気があって、賑わって、車が混んで。
普段人のこない町だから、みんな浮かれるのね。
わたしはそれでも先生がいた頃の藤がすきだったよ。何でかわからないけど、記憶の中の7年前の藤の方がずっと綺麗に見えるよ。
先生がわたしの9割を作ってくれたから、今も絵を描いていて、だけどもうそんな報告も出来ない。
アメリカにいた春に、先生が亡くなったってきいて、でも会いにもいけなかった。
先生が撮ってくれた先生の家の屋根で藤の絵を描くわたしの写真、どこにいったんだろう。
ぷくぷく太ってた高校生だったけど、紅い夕日にがんがん照らされながら絵を描いてる自分のあの写真はほんとに、すごかったな。
個展が終わって、3週間。ずっとぼんやり「終わること」を考え続けている。言えなかったことも、言ったことも。
先生、まだ、描いてるって言ったら笑うかなあ。
小学生の頃と、中学生の頃と、高校生の頃を思い出して、わーーーって叫び出したくなったり、先生がかけてくれた言葉を思い出したり、逆に自分が言った言葉で先生を困らせたりしたことを思い出すのはやっぱりこの季節。
確実にわたしを救ってくれた言葉をいくつもくれた。
「あかださんの笑顔は10000点」
「後悔」と言ったけど、その言葉が正しいのかわからなくなっちゃった。
先生に会えないことを後悔しているのか、それとも別のことを考えてるのか、悲しいのか、嬉しいのか、さみしいのか、なんなのかわかんない。
とにかく四月は桜も藤も大切な人たちを思い出していつもよりぼんやりしてしまうからはやく夏になるといい。
だけど今年こそ晴れた夕日の赤い藤を、もう一度、みたい。
今年もたくさんの人が先生に会いにくるね。
先生はわたしが憧れる「なくなっても続いて行くもの」をまざまざ見せつけてくれるから、わたしもちゃんと見なくちゃいけないな。向き合うのはいつも、こわいなあ..。
それでも間違いないことは先生がわたしの9割を作ってくれたこと。
先生がいなかったら、今のわたしはきっと絵を描いてなかった
ありがとうございます。