真のやさしさ | この地球儀っぽい絵見てびびったわぁ世界ってでかいねんなぁ     →

真のやさしさ

はい! 予定通り今日は「真のやさしさ」についてです。

今日はね、もう、めちゃめちゃ自信あるのよw

フツウの人でも変人でも、とりあえず日本人なら同意を得られるはず!

そんな文章になっております。

つまりはただの文章力のない論文やわな。

そやなぁ・・・中1の教科書読む気分で音読してくれたら嬉しいなぁ。

あ、音読ちゃうわ。 朗読よ朗読。 感情を込めて読んでねっ♪ 



・・・・ごめん。

では参ります。

あ、これ読んでくれてる中に私の中学時代の友達いてると思うけど、

論文の時間に私が書いてたネタと思いっきりかぶってます。

タイトルは 「心理的バリアからの解放を目指して」。 覚えてる人いるかな?

今更ながら中学生らしいかわいらしさの欠片もないタイトルやけど・・・orz

だいたい60p弱のやつです。 O嶋先生に担当してもろてました♪

あ、読んだわ! って思う人はこの章読んでもマンマすぎておもんないと思うけど・・・

でもまぁよかったら読んでみてくり。

あの論文では「やさしさを越えた人間関係を~」みたいな結論だした(気がする)けど、

今回はほんまにやさしさについてのみ書きますんで。

いや、別に懐古趣味があるわけちゃうよw 

やさしさについての概念・・・というかここまできたら観念が確固たるものだということの表れです。




さて。

皆やさしい人って好き?

私は好き。 真のやさしさを持った人が。

じゃあ偽のやさしさがあるのか!? って言ったら、はっきりそうとも言えない。

男が落としたい女に偽りのやさしさを見せる・・・そんなのってよく聞くやん?

人間は理性を保つために嘘をつかなきゃ生きられない生物なのね。

物心ついた頃から人間は嘘をそれと自覚しないまま365日つき続けるの。

私も嘘の塊やよ。 でも「嘘はつかない」性格。

これは矛盾じゃなくて、前者の嘘と後者の嘘は種類が違うから成立する文なの。

きっと辞書を引いて調べてもこの文は成立しない。 でもよくよく考えると「嘘」は多義語。

これは説明せな意味不明やんな・・・。

嘘についてもまた近々アップするからここでは保留します。

で、話を戻すけど、やさしさを主体視点で話し出すとキリがないから、

やさしさを受け取る客体を中心に話をすすめます。


今の社会ではやさしさが本来の意味から離れつつあるような気がするの。

特に若い女性が男性に求める「やさしさ」は、真のやさしさとは違うものに思えてならないわけで。

なんでも買ってくれる。

行きたいところに連れて行ってくれる。

何をしても怒らない。

こんな男に「やさしくて素敵」って群がる女達がいる。

それはやさしさじゃなくて女々しさや勇気のなさ、優柔不断っていうのとは違う?

相手の機嫌を窺って、嫌われることを恐れるあまり言いなりになってるだけ。

やさしさとは違うよね。

そこんとこを勘違いしちゃってる人がいるような気がして。

それは客体に限らず主体にもいえることで、

やさしい自分を見せたい願望が本来の意味からはずれたやさしさを作り出してる。

それこそ私が今の日本の大人から感じるやさしさ。

多くの大人が子供に嫌われるのが怖くて叱れないの。 手を上げられないの。

「親」であれ「教育者」であれ同じこと。

それを「子供の意思を尊重して・・」なんて言い訳で正当化しようとする。

ただの放任。 野放し。 荒唐無稽。 それを彼らはやさしさって言っちゃうから恐ろしい。

うちの親をやさしい大人だって書いてたのはこの意味ね。

あの章で出てくる「やさしさ」は全てアイロニーを含んでる。



じゃあ本当のやさしさって何? ってことになるよね。

それは「人を思いやること」。

びっくりする程フツウのこと言っちゃってごめん。

でもそれ以外の言葉が見つからない。


安楽死が認められてない日本だけど、私もこれには賛否両論あがっても仕方ないと思う。

もう死を待つだけの状態となった愛する人に、

「痛くて苦しくて生きるのがつらいからどうか殺してくれ」って言われたらどうする?

安楽死が認められない限り延命治療しか選択の余地はないけど、もしも認められてたら。

本当のやさしさは相手を思いやること。

相手の意思を思いやって死なせてあげる? 相手の人権を思いやって延命治療を願い出る?

難しいよね。真のやさしさをもってしても解決できない問題ってあるんだよね。

だから真のやさしさが絶対なものだとは言えないけど、それでも間違いなく価値のあるものだと思う。



人を思いやるからこそ生じる暴言もある。 暴力もある。

真のやさしさは残酷の中にこそあると言っても過言ではないのね。

それはきっと頭で理解することは容易なの。

でもそれだけじゃ真のやさしさを持つことはできない。

人の心は理性だけで理解しきれるものじゃないと思うから。

理性を越えたところに、生きていくための基本が存在するんじゃないかな。



感受性を高めることで真のやさしさを手に入れられるって言ったよね。

でも恐ろしいことに感受性の低い人間にはそれを見極める能力すらないの。

感受性のレベルと洞察力のレベルは常に一体を成してるから。

本当に情けないと思いませんか。

真のやさしさを持った親の教育の下でも「やさしい」社会の中で育つ子供の感受性はみがかれることなく、

親の真のやさしさに気付く日が来ないかもしれない。

ここにまた私が子供を欲しがらない理由のひとつがあるのね。

「やさしい」社会から子供を守る自信なんてない。

ロボットとして生まれて、ロボットとして成人していく子供を見守る勇気はない。

なんかちょっと脱線しちゃいましたが。

真のやさしさとはそういうもの。


あなたの好きな大人は、真のやさしさの持ち主ですか。

それが本当に「真」なのか、あなたには見抜けますか。




さて、次の更新は・・・ この章でも少しあがった「嘘」について書こうかな。

気が変わらなかったらそうしようと思いますw