最近の自分を振り返り、
いろいろ考えてる事をメモる記事。
を、書いてみました。

長いです(^_^;)

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(気晴らしに)


私は小学校2年で油絵の画材をお年玉で
買ってからは画家になりたくて、
絵を描いていたけど
薄々才能がない事は気づいていた。

姉の絵を認めた事なんかなかったのに
姉が絵で賞を取った。
「ありえない。やめた」
それが初めての挫折。

意識して写真を始めたのは
小学校のときだった。
中学校でもコンパクトカメラを持って行き
(怒られたw)
一眼レフを買ってからは、
ハマりにはまった。

それからは、カメラだった。
無我夢中で撮って、何度か賞を取った。「あ、これだ」

そう思った。
合わなかった高校生もやめた。
でも、これは挫折ではなく、
(そもそも、合わせる気がなかった)
生きる道を決めたと今でも思ってる。


19でロンドンへ行ったのも、
すべて自分で稼いで貯めたお金。
自立心だけは、誰よりあった。

ロンドンで写真を学び(学費自腹)
初めての個展で
1枚の写真が6万円に設定したのに
3枚売れた。
「私が切り取った1枚の写真」
合計12種類が売れた。

写真は部屋に飾る事が当たり前で
写真は絵画と同じアートとして考えている
イギリスだからかもしれない。

たまたま、個展したところが
ノッテングヒルという
おしゃれな人やクリエーター
お金持ちが集まる場所
だったからかもしれない。

あの頃の私は
今より創造的で大胆だった。
そして、自由だった。心が。

写真は今では気軽になった。
すべてデジタル化され
シャッターを切って、
いらない写真は捨てる。

だから、子供の写真を
たくさん残せるようになったはず。

それでも、「うまく撮れない」
ここは、それでも良いと思う。
上手くなりたい人はどんどん講座を受けて
撮って上手くなればいい。

「自分で撮るよりプロにお願いします。」
そう言ってくれる人がいないと
正直ビジネスは成り立たないので。

ただ、今では気軽になった写真。
センスという人もいるかもしれないけど、
もちろんそれもあるけど、

「質より量」をこなした人が
プロになれるんではないのか。

プロになるという事は
それが生きる糧(お金)になる。

つまり、思いつきのみでやっていけなくなるという事。撮り続けるということ。

写真はアートの一つとして捉えると
クリエイティブの一つでもある。

でも、撮り続けなければ
上手くはなれない。閃きもない。

毎日、被写体はなんであれ
撮って撮って撮りまくる。

すると、自分が心惹かれる被写体(人や花)
光、構図、の見分けがつく。

いつしか「おし、いい写真きた!」
と、わかる時がくる。(主観的に)


私が昨年からはじめた家族撮影まだ、
私だから撮れる家族の写真はなんだろう?
と模索している。

言わば、発展途中。

だから、撮り続ける。

私が
どうしても残したい家族写真はこの1枚!
が見えるまで、
たくさんの家族の「今」の写真を
残したい。



この思い」が伝わる家族写真の形は
まだ、見えてこないです。

帰国して5年。
「自由な思いつき」がなくならないよう
心は解放したいものですね。


乞うご期待ですよ!!!!!



長文を読んでいただき
ありがとうございました。