先ほどの続きです。



アブチラガマの次は、伊原第一外科壕です。


伊原第一外科壕は、第三外科壕跡のひめゆりの塔のあるところのすぐそばにありますが


そちらとは違ってひっそりとしています。


舗装されていない道路沿いにあります。



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中は、もう腰のあたりまで水があるそうなので入れませんでした。


ひめゆり学徒は、南風原を撤退した後は


ひめゆりの塔のある第三外科壕だけでなく、


こちらの伊原第一外科壕、糸洲第二外科壕、波平第一外科壕などに


行きました。


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こちらでもたくさんの悲劇がおこりました。


ひめゆり資料館でお会いした生き残りの方から、

こちらで起こった悲劇をお聞きしました。


お腹をやられたお友達が、自分はもう助からないからほかの人を助けてあげてね

と言って亡くなったこと


そして解散命令が出て、そのお友達をきちんと弔うこともできず残して去らなければならなかったこと。





そして次に行ったのは糸洲第二外科壕。



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こちらはほとんど人が訪れた様子もありませんし、


国によって埋められてしまったそうです。


入口のあたりは固められてしまっていました。



次は、波平第一外科壕。



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こちらはだいぶ大きな、何個もガマがあるところでした。


ハブがよく出るらしく、まわりにハブとりがたくさんしかけられていたので


あまり長い時間はいれませんでしたが・・・



ちなみに戦争当時は、あまりハブは出なかったそうです。


動物はそういうのを感じる力が強いから・・・とおっしゃってました。



足元はとてもごつごつして危なく、


当時も靴もすり減っていたであろうに、こんなところを歩いていたのかと


衝撃を受けました。




そして次は 山城陸軍病院本部壕。



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こちらの向かいに壕があります。


こちらも少し中に入ろうとしたのですが、顔のすぐわきにハブの抜け殻があり


近くにハブがいるということで外から見るだけで断念。





そして最後は荒崎海岸。


生徒数名と先生が自決をされた地です。





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見てわかるとおり、とってもごつごつして鋭い岩いわで出来ています。


沖縄のリゾートで見るような、南国のきれいでパラダイスのような海ではなく


冷たく荒い海でした。


解散命令を受けて、逃げまどい追い詰められた人々はこの海岸まで来ました。



私は写真のように超重装備(汚れてもいい服でめちゃくちゃ厚着、軍手、長靴・・・)でも


少し痛いくらいなのに、素足に近いような状態でこの海岸を歩いたなんて。


とても荒い海なので、波にさらわれて亡くなった方もいるそうです。



手榴弾で自決をされた学徒と先生を偲ぶ碑がありました。


米軍に投降を迫られましたが、


生きて虜囚の辱めを受けず


の教育を受けてきた皆はここで自決をしたそうです。


その前に米軍に攻撃を受け、倒れた場所のおかげで助かった方は


ひめゆり資料館で証言員をされています。






1日ですが、上原さんにしっかりと案内していただきかなりたくさんの場所を見ることが出来ました。


朝九時からまわり、ホテルに着いたのは夜八時すぎでした!


すでに暑い沖縄でしたが、写真のように超厚着で重装備で1日過ごし、


どろっどろでした・・・。




資料ではたくさん読んでいて、写真でも見ていて過酷さをわかっていたつもりでしたが


実際に自分の足で歩いてみて


わかったことがたくさんありました。




この地で感じたこと、



しっかりと舞台で伝えたいと思います。