写真のアップとかに時間がかかってしまい、遅くなってしまいましたが


先月行った沖縄を振り返ろうと思いますさーちゃん



初日は平和ガイドの上原さんに、


「ひめゆり関連のところになるべくたくさん行きたい」


とお願いしてコースを組んでいただきました。



那覇空港には朝9時に着。

上原さんにピックアップしていただいて、



1、ひめゆり学徒の学び舎跡(那覇市)


2、沖縄陸軍病院跡フィールドワーク(南風原町)・・黄金森、津嘉山経理部壕
、水汲み場、飯し炊き、


3、第二外科壕群20号壕追体験 (南風原町)

4、南風原文化センター (南風原町)

5、糸数アブチラガマ追体験(有料) (南城市)

6、伊原第一外科壕 (糸満市)


7、糸洲第二外科壕 (糸満市)


8、波平第一外科壕 (糸満市)

9、山城陸軍病院本部壕 (糸満市)

10、荒崎海岸 (糸満市)



の10か所に行ってきました。



最初のひめゆり学徒の学び舎跡は、スーパーになっていました。



小さい市場の中に



三森千愛オフィシャルブログ『FISH EGG』


を発見。


このあたりに


沖縄県立第一高等女学校 「乙姫」と

沖縄師範学校女子部 「白百合」

があったのです。


両校が並置されることになり、「姫百合」という愛称で呼ばれるようになったのです。




その次に行ったのは、

陸軍病院跡のフィールドワーク。


当時、学徒たちが水くみや飯炊きをしていた場所は

今はとても平和な地になっていました。


経理部壕があったあたりは、一面農業地帯となっていました。



ここでもたくさん興味深いお話を上原さんから伺いました。




次は、第二外科壕群20号壕。

こちらでは専用のガイドさんに案内していただきながらでしたが、

ガイドさんと上原さんもお知り合いで

お二人がたっぷり説明してくださいました。


まずは



三森千愛オフィシャルブログ『FISH EGG』

爆弾の破片です。


資料では「破片があたって亡くなった」というような記載が多かったのですが


当たってなくなるぐらいの破片ってどんなものなんだ?

と疑問に思っていたので、生で見れて納得でした。



三森千愛オフィシャルブログ『FISH EGG』


持ってみてさらに。


ものすごく重い。


このくらいのそんなに大きくない破片ですが、両手で持つのもやっとぐらいの重さでした…。


こんなのにあたったらひとたまりもないな・・・と。



そして、もう崩れてしまった24号壕の外観を見て


ついに20号壕の中へ。



入ってすぐには近くで発掘された医薬品類がありました。



三森千愛オフィシャルブログ『FISH EGG』


南部に撤退する際に、また戻ってくると思って埋めていたものだそうです。


結局、最近になって発掘されるまで埋まったまま、つかわれることはありませんでした。



壕の中は想像以上に狭く、ここに2段ベッドが並べられていたなんて

信じられませんでした。


あまりに暗かったので写真はうまく撮れませんでした。


となりの19号壕、21号壕とつながっているほかのところよりも少しだけ広い部分で

手術が行われていたそうです。



たくさん資料を読んで、行ったつもりでしたが

実際に見ると、想像よりもずっと過酷で苦しくて

怖くてたまらなくなってしまいました。


今は壕も落盤などがあり、見れなくなってしまいましたが


天井に患者である兵士が掘ったであろう文字なども残されていたそうです。



こんなに狭い中で、学徒は増え続ける患者たちを世話していたなんて

信じられませんでした。



20号壕を出て、近くにある南風原文化センターへ。


ここでは壕の内部実物大展示や、発掘されたものの展示などがありました。


2段ベッドなどもあり、実際に横たわってみました。

あの暗くて狭い壕の中に、このベッドが敷き詰められ、

苦しむ声が響く中での治療・・・


考えるだけで恐ろしいです。



そのほかにも、発掘された破片、遺品、靴などが多数展示されており、

実際に手に持つことができました。



その後、南風原陸軍病院壕跡 の碑まで行って

黙とうをしてきました。



三森千愛オフィシャルブログ『FISH EGG』


ひめゆり学徒が動員されたのは、よく

「南風原(はえばる)陸軍病院」と記載されているのですが

(ミュージカルひめゆりでもこちらの名称を使用しています。)

正しくは

「沖縄陸軍病院」

だそうなのです。


通称「南風原陸軍病院」だったのでしょうね。

話が伝わる間に、そちらが正式名称かのように伝わってしまったそうです。



その次に、糸数アブチラガマ追体験に行きました。


先ほどの20号壕は、人間の手によって掘られた壕ですが、

アブチラガマは自然にできた洞窟です。



中に入るとものすごく広いのです。先ほどの20号壕が嘘みたい。

中に炊事場も作れたり、水も流れるガマなのです。


ここに一般市民もたくさんいたそうです。



遺骨が隅のほうに残っていました。

ほかにも、生々しい爪痕がたくさん残っていました。


これはそのうちの一つ。



三森千愛オフィシャルブログ『FISH EGG』

ものすごく高い天井に張り付いてるなにか。


ドラム缶です。


アブチラガマが米軍に襲撃された際に吹き飛ばされて天井にくっついたそうです。



上原さんに、少しの間懐中電灯を消してみましょう

と言われ、消しましたが、

あまりにも怖くて呼吸が荒くなってしまうほどでした。


なにも見えない、真っ暗闇。


さっき見た爪痕が頭に浮かんで、

想像もつかないけれどでも、当時の光景が頭に浮かんできて

苦しくてたまらなくなりました。


電気をつけ、出口からすぐに出た私ですが

上原さんに

「そこが決定的に違うところだね」

と言われました。


私はとにかくこの空間から早く出たい、と一目散に上を目指しました。


でも当時は、外こそが一番怖い場所だったのです。


日の光を浴びたい、外の空気が吸いたい

でも外は激戦の地。

外に出ることは死に近づくことです。



外に出たところにあるサトウキビ畑のあたりで

少し上原さんとお話ししました。





その2に続きます。