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ワンコとちーすかのブログ

2014年8月25日虹の橋を渡っていった愛娘ルナの想い出
2011年2月に殺処分寸前で保健所から引出し
2021年6月15日虹の橋を渡ってしまった長男アポロンと
臆病すぎる保護犬で次男ビットの日々の生活、そして保護関係のことを書いています。

おかげさまで12月18日兄のお葬式を終えることができました

ここからも長文になりますm(__)m

 

親戚とも疎遠になっていた現在

父方本家に従姉妹が連絡をしてくれていたものの

当主である従兄弟も闘病中ですし

東京・大阪・九州・静岡に住んでいる親族にも連絡せず

(携帯番号もほとんどわからないので)

親族で参列したのは私と従姉妹(姉妹で2人)

と片方の従姉妹の旦那さん

という4人だけでした

 

空手関係の方々にもわざわざ御足労いただくのは

申し訳ないと考え30名以下の家族葬の予定でしたが

葬儀の前々日、現場にも来て下さったUさんという方から

(兄がお世話になった亡師範の娘さん)

 

最後にN先生(兄)に ひと目だけでもお会いしたい!!

お別れを言いたい!!という生徒が

私の教室だけでも20人ほどおります

保護者の方も大変お世話になったので

ぜひ参列させていただきたい ということです

他の教室を含めますと相当な数になりますのが

何とか、お顔だけでも拝見させていただくことはできませんでしょうか!?

 

と とてもありがたい連絡を頂きました

そんなに慕っていて下さる方々がいらっしゃるなら

私としても最後に会わせてあげたい

生前 何もしてあげられなかった私です

最後くらい出来るだけのことをしてあげたい

そう思いましたショボーン

 

葬儀社に連絡して会場に問い合わせてもらい

急遽 100名以上が参列できる大きな方に変更

前述のUさんに連絡しました

 

このUさんからは

お忙しいとは思いますがあせるN先生の道着があれば

棺に入れていただきたいです と言われ初めて

「それ めっちゃ重要やんガーン」と気が付きました

 

幼少期は喘息持ちで体が弱かった兄が

中学生くらいから空手を始め健康体になり

高校を卒業してからは予備校・大学・また別の医療短大と

ず~っと家を出て一人暮らしをしていた兄

その人生の何十年ほとんどが空手一色だったと思います

 

実家に戻ったのは癌だった父が自宅療養していた時期と

その後数ヶ月のみで職場にも遠いということで

再度 四日市市でアパート生活でしたから

妹の私より、はるかに空手関係の方々と過ごした時間が多いのです

 

葬儀前日は四日市市にある葬儀社との打合せもあったため

その帰りにアパートへ寄って汚部屋捜索汗

「お~い、どこにあるか教えてくれ~い」とつぶやきながらえーん

脱衣所!?に踏み込んでいって道着発見!!

 

多分自分で洗濯しても落ちなかったであろう

薄い血液染みがあったので汗

帰りにドラッグストアで洗剤購入

コインランドリーで洗濯しました

(分厚い生地で自宅では洗えませんあせる

 

当日 棺を開けて最後のお別れのとき

無事に持たせてやることができました

 

四日市市市営斎場で葬儀を取り行いました

 

 

風があって少し寒かったものの 晴天で助かりました

 

 

最初 親族からの献花は従姉妹2人のみということで

葬儀社の方が祭壇のお花を増やしましょうか!?

心配していましたが「献花を送りたい」という方々から

沢山連絡をいただいたそうで

会場に入ってみて驚きました

 

 

 

 

全国の同じ流派の代表者の方や空手道連盟などから

沢山の献花をいただいて本当に感謝です

 

きっと兄も驚いていることでしょう・・・
 

 

これは従姉妹が撮影した画像ですが

最後のお別れの時で皆さんにお顔を見ていていただきました

 

最初に道着を入れ、皆さんにお別れを言って頂いたのですが

最後にお花を入れる際、葬儀に参列できなかった生徒さん達の

「N先生へ」と書いてある封筒が沢山入っていて

本当にありがたくて涙が溢れてしまいました

 

 

空手で流派の違う方も来てくださって

生徒さんたちを含めると150人くらいだったでしょうか

本当にありがたいことです

 

お経をあげてくれたのは私の地元の和尚さんですが

コロナ禍の後、こんなに大勢の方が参列した葬儀は初めてです

最初から涙を流されてる、お若い方々も多くいらっしゃって

お兄さんは本当に慕われておられたのですね と言われました

 

津支部の師範の方に連絡等お世話になりましたが

県内でも遠い地域の方々や大阪・奈良・愛知県

遠くは山梨県から参列して下さった方もいらっしゃいます

 

従姉妹も「社長やった(自分の)お父さんの時より多いやん」と

驚いておりました

 

津支部師範のIさんがおっしゃるには

「これでも人数は抑えた方なんですよ」

 

このIさん始め、前述のUさんを含む

お子さん達を(みんな空手習ってます)入れて

30人ほどの方々は火葬が終わるまで控室で待っていてくださって

お骨納めにも参加してくださいました

 

正直 私は兄が亡くなっても泣かないだろうと考えていましたが

喪主挨拶では泣けてきて思っていたことの半分も言えず汗

これは兄との別れが悲しいというより

これほどの方々に見送って頂いて感涙と言った方が正しいかもしれません

また私の知らなかった兄の姿を知り

本当に感謝でいっぱいの葬儀となりました

 

長文読んでくださった皆さま

ありがとうございますm(__)m