「満州音楽祭」の中心となる楽団は東支(とうし)鉄道交響楽団(通称ハルビン響)とその年に設立された新京交響楽団(通称新京響)であった。その新京響にはその後のNHK交響楽団で活躍する若き演奏家も多く在籍し、恭太郎ら学生との交流がその後も長く続いたという。

天才ピアニストと言われた野辺地勝久の子飼いの学生として噂になっていた恭太郎の演奏を一度は聴いてみたいという交響楽団の面々は非常に楽しみに、またどれ程のものなのか見極めたいとの気持ちもあって熱気を帯びていた。

十月の半ばの満州は日本の冬と匹敵するくらいの寒さになっている。初めての海外渡航に亜希は何を用意していけばよいのか迷ったが、何しろ息子では女性の旅行先のあれこれを聞いたところで何も役に立たない。日本で着なれている着物で通すことにして、防寒のための着物用の防水を施したコートや草履の覆いなどを詰め込んでいた。その辺りは渡は気配りが細かく、現地で亜希が困らないように船を降りた時から日本語を解す満人の女中を添わせるように手配してあった。


恭太郎にとっては三度目の渡航である。もう慣れたものであった。船の中ではいつものようにサロンでピアノを弾き、乗船客はその音色に心穏やかに船旅を楽しんでいる。

出航したその日、海に沈みゆく夕日が実に美しくデッキで恭太郎と亜希は珍しく並んで一日の終わりを眺めていた。


すると「私はね、十四の歳に夏美のご主人のところに預けられたのよ。加賀の故郷から東京に向かうときにお母様と眺めた夕日に良く似ているわ・・・」と自分の事を滅多に語らない亜希がそんな事を言い出したので恭太郎は少し驚いた。何となく亜希の過去を聞いてはいけないような気がしていたからだ。

亜希の家は加賀藩の御馬廻役として二百年以上続いた松田家の分家筋であった。明治維新で没落し亜希は泣く泣く芸妓の置屋へと預けられることになったのである。


主人の夏美はその事情も亜希の素性の良さもわかっていたために、座敷の客は厳選した。特に娼妓とは違って芸妓の場合は「芸は売っても体は売らぬ」という心意気で座敷に上がっているのである。見初められて水揚げされるにしても芸妓の方で気に入らなければ断ることはできた。そういう意味では恋愛感情が多少は芽生えた二人でなければ成立しないと言えただろう。

亜希が十六の歳で初めて座敷についたが、その時の客が当時はまだ若い実業家であった湖月渡だったのである。渡は亜希のはかなげな何にも汚されていない透明な美貌に心奪われ、亜希もまた渡の少年っぽさを残した笑顔にこれからの不安が消し飛ぶような安心感を覚えた。しかし渡はすぐに亜希をわがものにしようとはしなかった。何度も何度も足繁く通い、亜希が嫌がる客の座敷は自分が寄れない時には主人の夏美に金を渡して出さないようにした。そうして四年もの間、静かな愛情を育て亜希が二十歳になるのを待って落籍したのであった。その時、亜希は小さな命を宿していた。


恭太郎母子を見送りに来ていた一帆と早霧は横浜の埠頭をぶらぶらしながら近況などを報告しあっていたが、一帆が「なあ、恭太郎ってあの外人の女の子のことになると妙に言葉少なになるけど、さすがにまだ子供だろう?女として好きってことはないよなあ」と先日の早霧の恭太郎に対するほのめかしが気になって聞いてきたのだ。


「いや、あいつは本気だよ。そりゃ今すぐどうこうって話じゃないけどこの先、一緒になりたいと思ってるのは確かだ。こう言っちゃなんだけどさ、やっぱり恭太郎の生い立ちというかあの女性に対するバランスの悪さっていうか・・・うーん うまく説明できないけど酒場の女とはあんなに軽々と寝るんだぜ?でも一方でまだ子供に近いような、しかもロシア人の女の子に本気なんだよ。亜希おば様の境遇とか周囲の環境でいろいろ俺たちみたいな単純な生活ではなかったんだと思うよ。」と今まで恭太郎の境遇にまったく言及したことはなかった早霧が珍しくそんなことを口にした。


「・・・・そうなのか。意外というか・・・・まあそりゃ年端もいかないといったってあと三年もすれば確かに結婚はできる年齢だよな。俺たちも、えっとその時は二十四か・・・・有り得るな」と一帆も具体的に恭太郎の恋が想像できたようだ。

そして早霧も一帆もそれはひと波乱ある展開になるだろうとも思っていた。