「その時歴史が動いた3000万の署名」
核実験反対の署名運動に乗り出したのは、女性たちでした。
記事はランダムに載せています。
この運動を牽引して来たのは、「生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」をスローガンに母親大会を開いて来た女性たちです。
3000万の署名は、この当時の人口の3分の1です。
この3000万の署名を力に、遂に「第一回原水爆禁止世界大会」が開かれたのです。
第五福竜丸が被爆してから港に帰るまでの間に、船員たちがどんどん弱って行く症状も話されました。
どれだけ被爆が恐ろしいものか知らない船員たちは、ずーっと甲板で作業を続けていたので、白い粉をモロに身体に被っていたからです。そして、第五福竜丸の無線長の久保山愛吉さんはお亡くなりになられました。
最後に、故久保山愛吉さんの妻久保山すずさんが第一回日本母親大会に参加して訴えた一部を紹介します。
「みなさん!人間が人間を殺す兵器をゆるしてよいものでしょうか。死の床に横たわりながら、死の直前まで夫はこのような恐ろしい物を許しておく事はできない、どうしてもなくしてしまわなければならない、と叫び続けました。このような恐ろしい兵器がある限り、、私たち日本人は生きていくことはできません。・・・本当の母の愛情は、子どもを守るだけでなく、戦争をやめさせる事です。・・・戦争をなくしてください。平和を守ってください」
私の思いは。
今日(こんにち)ますます戦争の足音が近くなってきていると感じます。女性、男性、関係なく老若男女。日本中から戦争反対の声をあげなければ・・・。3000万の署名を集めた先人に学んで。
まだまだ、講演内容はあるのですが。
ひとまず、これで終わります
最後の最後。母親大会はここから始まり、思想信条を超えて子どもの生命を守る、戦争反対で一致した女性たちの運動なのです。