中村哲医師のドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」を鑑賞しました。
こらは、2年前に玉野市で上映された時のチラシです。
このドキュメンタリー映画が完成したと知った時から、ずーっと観たいと思っていました。ようやく、姫路市でも上映の運びとなって、とても嬉しかった
中村医師が、初めてアフガニスタン へ行く事になった経緯。
アフガニスタン で医師をやろうと決めた事。しかし、
「アフガニスタン の飢餓を防ぎ、病気の悪化を防ぐには、医師だけの力ではどうにも出来ないと悟り、砂漠化した大地に水を引き、緑を甦らせて農業が出来る土地にする。」
事だと決心し、医師は他のスタッフに任せて用水路を引くための、土木の勉強をして用水路を作り上がげるまでの長い道のりを描いたドキュメンタリー映画です。
アフガニスタン に渡ってから35年間です。
砂漠化した大地 ↓ 原因は干ばつです。
この砂漠化した大地に、水を引くと考えた中村医師は、凄い人です。
こんな凄い方を凶弾でなくすなんて、言葉では言い尽くせない物があります。
もちろん、銃を撃った犯人が一番悪い。
しかし、その根源は戦争です。
中村医師が用水路建設を始めて間もない頃、「はりま憲法集会」に、講演に来ていただきました。
姫路市に限らず、全国あちらこちらで講演して、アフガニスタンの用水路建設への支援をお願いして回られていたのです。
その講演で一番心に残った言葉は、
「海外援助に武器はいらない!!武器は有害無益です。」
と言われた言葉です。更に、
「中東の人々は日本人に友好的です。なぜなら、日本は武力を持って攻めて来た事がないから。日本の平和憲法は、中東の人々を安心させているのです。」
とも言われました。
このすぐ後に、日本は海外派遣を決めました
中村医師はこの時、国会に参考人招致され参考人として意見を述べました。その時も中村医師は、
「海外援助に武器はいらない。武器は有害無益です」
と述べたのです。
しかし、海外派遣法案は通ってしまいました。
中村医師が凶弾に倒れてしまった責任は、日本政府にあると、私は思っています。
追加。
水路を引く土木工事は、一筋縄では行かない物でした。中村医師は、筑後川の○○堰の作り方を学びに何度も帰って来ました。
そして、江戸時代に作った○○堰の設計図を見ながら、遂に、用水路を完成させました。江戸時代の設計図が今も残っている事に驚きました‼️‼️
中村医師が参考にした○○堰です。
筑後川には、たくさんの堰があります。この堰を作って、暴れ川の筑後川をなだめたのです。