中学3年生の初めから半年くらい、保健室登校をしていた。

 

いじめられている訳でもなく、友達もいたし、勉強も普通。

 

幼いころからピアノを習っていたので

合唱祭ではいつも伴奏を担当したりと、自分の役割もあった。

 


多分、もともと繊細な子供だったと思う。

中学2年生の途中から、持ち合わせた性質と、思春期のいろいろで気持ちが不安定になりがちだった。

 

 

周りの他愛のない会話に何かを見つけて傷つく。

先生からの悪意のない言葉に傷つく。

親の態度に傷つく。

弱い自分が許せない。

 

 

とにかくどこにいても居心地が悪く、

友達とおしゃべりしても、笑っているけれど

馴染めない気がして教室にいるのがつらい。

誰といても自分を押し殺して過ごしているような気になる。

 

 

自分はダメ人間だと思っていた。

助けて。といつも思っていた。

 

 

始めは、具合が悪いと言って保健室に行ったりしていたと思う。

 


中学3年生の時は家庭科の先生が担任になり

日記を毎日つけるのが宿題のひとつだった。

 

5月くらい。毎晩、毎朝気持ちが重くなって

元気なふりをして学校に行くのはもう限界だと思った。


「もう無理です。」と日記に書いて提出した。

 

その日も具合が悪いと言って保健室のベッドで寝ていた。

日記を見た担任が保健室にやってきて

ベッドを覗きこみながら

「様子がおかしいって思ってたよ。そろそろ話さないとって思ってた」と言ってくれた。

 


私は号泣してしまい

そこから、朝はまっすぐ保健室に登校したり

時には朝から行かず、遅れて登校し、保健室とで勉強するようになった。

 

 

仲がよかった友達が給食をもってきてくれたり

授業で使ったプリントを持ってきてくれて、おしゃべりしたりもした。

 

 

保健室登校していても、はっきりとした理由もわからないまま

どうしても苦しくて

涙が溢れてどうしようもない日などもあり

担任が「Chiiちゃん、今日は帰る?自分をせめちゃだめよ」と声をかけてくれて

早退したりもした。

 

 

母はというと

 

「学校に行きたくないなんて、〇〇ちゃん(近所に住む母の実の兄)から

 お前が甘やかすからだって言われちゃったわ」と

 

困ったように私に向かって言い放った。

 

 

自分の意見ではなく人の意見。

 


不登校なんて周りの目が気になるよね。

私は迷惑なんだよね。

学校にまともに行ける、いい子じゃないからね。


と心の中で思った。

 

 

おじさんがどう言おうが、何を言おうが関係ないし

何故おじさんの言葉をそのまま私に伝えるのか、理解できなかった。

母にそれを言われて、また自分の部屋で泣いた。

 

 

保健室には下の学年の、不良になりきれないような

人懐こい女の子が休み時間にふらふらと遊びに来たりしていて

 

 

「Chii先輩、いいなぁ。保健室登校ってどうやったら出来るんですか?」と

無邪気に聞いてきた。

 

 

自分でも、いったいどうしてここにいるんだろうと

不思議だったのを今でも時々思い出す。