先日母が来たときに聞いてみた。


「今だったら虐待って言われるコト、
 してた自覚ある?」


母は答えた。


「次女子(ワタシの妹)には、
 箒の柄でおしり叩いて悪かったなぁ…」



ええええええぇっっっ!!!

それだけですかいっ!!!



ワタシはお尻だけじゃなく、
頭も箒で叩かれたよ。

げんこつもされたし、

お漏らしして怒られて
真冬に下着だけで裸足のまま外に出されて、
家の鍵全部閉められて、
泣きながら開けてーって
ドアをドンドン叩いたり、

冬じゃなくても同じ理由で閉め出されて
あまりに泣くから
隣の家のおばさんが
「かわいそうだから入れてあげて」って
何度も言ってくれたコトがあったんだよ。


そう伝えたら、
母は全然覚えていなかった(; Д)゚ ゚


親の認識と子の認識は
斯くも異なる。



そんな母も
自分が子供だった頃
親に怒られ暗い馬小屋に
長時間閉じ込められたコトは覚えている。


きっと母の母は
そんなコトは微塵も覚えちゃ
いなかっただろう。



ワタシはと言えば
長女が小さい頃は
やっぱり手を挙げる親だった。


悪いコトをしたら
痛みを伴う罰を与えるのは
当たり前だった。

躾とはそのようにするのだと
自分の体験からそう思っていた。



その頃
親による子どものの虐待について
テレビでもよく取り上げられていて、

親が怒って閉め出した子どもが
家に入れてもらうのを諦め
道路を歩いているうちに事故で亡くなった
ニュースを知ったときに、

あぁうちの親がやっていたコトは
一歩間違うとこういうコトになるのだと
思った。


親の躾は間違っていた。

親は、間違っていた。


16歳で母親を失った母が
23歳で産んだのがワタシ。

子育てで頼ったのは、
16歳も年上の姉。


20代後半の母が
自分の受けた躾を元に
子育てをしていたのだと
気づいたとき、
32,3歳のワタシは叩く子育てをやめた。

(正確には命に関わるコト以外で
 叩いて叱るのはやめた)

怒鳴る(というか叫ぶ)のは
暫く続いたけど(´Д`)


兎に角そのような負の連鎖は
自分が断ち切ろうと決めた。





さて、
なぜ母はワタシを叩いたコトを覚えてなくて
妹を叩いたコトは覚えていたのだろう?


以下は推測でしかないのだけれど、

ワタシの時のそれは
あまりにも当たり前すぎて
記憶の片隅にも残らず、

けれども7つ半下の妹を育てる過程のどこかで
それは虐待(あるいはしてはいけないコト)と
知って、
やりながらもどこかで後悔したのではないか。

いけないと思いつつもしていたコトは
心に刻み込まれ、
正当であると考えてしていたコトは
あまりにも当たり前すぎて
記憶にござらんのであろうなぁ。




* * * * * * * * * *

ワタシたちは経験や学習を重ねて成長する。


一個人ではなく
世代を跨ぎ経験や学習を重ね
成長していく方法もあるのだね。


単なる家族の話ではなく、
人類の話、
地球に生きる 宇宙に生きる
すべてのものの話。



* * * * * * * * * *

因みに母に対する怒りや憎しみ
それから悲しみのようなモノは
今は一切なくて、
お互いの認識の違いをさらりと確認した、
そういう会話でした(*^^*)


責めも攻めも
謝りも守りもない
そんな会話が出来てヨカッタ(*´ω`)



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親の認識と子の認識は
斯くも異なる。


ワタシの認識と
娘たちの認識も
また異なるのだろうなと
思うに至りました。



今日はそんな話。